[Intermission: empty heart]
不夜城のど真ん中で一際明るい輝きを放つ高層建築の一室をまっすぐに捉えながら。真っ暗なその部屋の中、彼は身じろぎ一つせずに時が来るのを待っていた。
「YO,狙撃屋。チョーシはどう?」
その背後で、甲高い、そして場違いに明るい少女の声が不意に響く。
「メッセンジャーなネフェルの業務連絡、作戦は予定ドーリ万事OK進行中。目障りな連中は敵も味方もネフェルとキリークでミナゴロシ them All☆後はキミ次第、Are You Ready?」
「…………」
声の方を振り向こうともせず、彼は無言で手にしたライフルの安全装置を解除する。
その様子を見ながら、声の主…蒼いヒューキャシールは唇の端を微かに歪めて肩をすくめながらも、再度口を開いた。
「ねェ狙撃屋、三ヶ月かかってトモダチになった男を殺すのってどんな気分?」
「標的の調査期間としては充分な期間だ」
返ってきたのは、平板な声。
その答えに「ふぅん」と肩をすくめて見せた彼女はくるり、と彼の前に回り込むと、その真っ青な瞳を覗き込んで小さく笑う。
「サスガね狙撃屋、生まれついての裏切りモノ、何回トモダチや恋人殺しても無問題♪狙撃だけじゃなくて目の前で撃った事もアルんでしょ?」
くすくす笑う蒼い少女は、しかし不意に顔をしかめると「つまんないの」と鼻を鳴らす。
「狙撃屋、キミってつまんなくてカワイソウ。そのヒューマンそっくりのボディは空っぽ、heartもmindもsoulもゼロ。殺す時、殺されるときCan you feel?ムリでしょ?今ネフェルがキミを分解(バラ)しても、自己保存にのっとって抵抗するだけ、なーんにも感じない。つまんない」
顔の上半分を覆うバイザー越しの瞳が、まっすぐに彼を見つめている。対する彼の顔は彼女に向いているが、その目は何も見ていない。
本当にかわいそうな狙撃屋、と呟いて、彼女は小さく溜め息をついた。
「狙撃屋はそれが命令だからヒトを殺す。ネフェルは楽しいからヒトを壊す。ネフェル、ターゲットをバラバラにする時ゾクゾクしちゃうもの。みんなネフェルに恐怖や怒りをぶつけて来る、それが感じられる時、ネフェル自分が生きてると思うノ。キャシールだからタマシイないけど、それでもネフェルはちゃんと生きてルわ。キミみたいな空っぽのお人形さんじゃない」
「……作戦開始時刻まであと300秒。持ち場に戻れ、NEFFER-S13E」
「…………リョウカイ、Gunner Type-R/027」
長口上を遮られてやや鼻白みながら、それでも少女は素直に引き下がる。開きっぱなしの窓枠に手を掛け、13階の高みから地上を見下ろして。
「じゃーネ、狙撃屋。……ネフェル、いつかキミのこと分解してみたくてたまらないノよ。その時には、ねぇ狙撃屋、感じてるフリだけでもいいからしてくれる?」
どこからともなく取り出したチェインソードの始動スイッチに指をかけながら、彼女はその口元に無邪気な笑みを浮かべると、躊躇う素振りすら見せず、遙か眼下の地上へと身を躍らせた。
「任務完遂を祈ルわ、Good Luck!」
遠くなるその声の後には、ただ沈黙だけ。誰も気付かない内に幕を上げた惨劇の音すら、ここには届かない。
ライフルの銃口を微動だにさせずに、彼は他の人間達と同様に何も知らないであろう標的が、「いつものように」窓の向こう、愛用の机に座るのを確認する。
防弾のはずの大きな窓は、すでに何の変哲もないガラスに取り替えられている。後はこの引き金を引けば、全て完了。
そこから先、「企業間トラブルによる潰し合いの結果」という「演出」は後始末担当の仕事…自分は、与えられた任務を遂行するだけ。
そう、ただそれだけ。
…………本当に、それだけ?
………そのために、彼を………友人になった男を撃つのか、俺は?
……俺?いや違う、僕は?
「……違う!」
思わず叫び、彼は突然雪崩れ込んできた膨大な量の情報に混乱しかけた頭をはっきりさせようと首を振る。
「何だ…?何が起きたんだ?俺は、一体…………俺…は……?」
呆然と、己の手を見つめて。
彼は戸惑いながら、自分が戸惑っている、という事実に更に混乱する。
たった今、なんの前触れもなく起動したばかりの人格プログラムを、システムは認めている…混乱しているのは、それによって生まれた彼の意識。
それが何故なのか理解できてはいるのに、彼自身の心が、その存在に戸惑っている。
「俺は…"Gunner Type-R/027"……組織の不利益になる目標の排除を行うためのユニット…」
自分というものを再確認するかのように、ゆっくりと言葉を紡ぐ彼の中に、先程聞いたばかりの声が甦る。
『狙撃屋、キミってつまんなくてカワイソウ。そのヒューマンそっくりのボディは空っぽ、heartもmindもsoulもゼロ。』
彼女の言う通りだ。アンドロイドにすら人形扱いされる、ただヒトガタをしているだけの暗殺機械。潜入任務を果たすために時折付与される疑似人格でさえ「それらしい反応」を返すことしかできない、はずなのに。
「……さっき起動したプログラムが、俺を作って…だから、俺は今、俺を俺と呼んでる……『自分』がここにいる、って解る…………そうだ、これを仕掛けたのは、僕……」
混乱した理由が、もう一つ。
彼の中にあるのは二つの記憶。ひとつは今までの自分のもの、そしてもう一つはこの身体を設計した男のもの。
「……なんで、俺にこんなモノを仕掛けたんだ…?記憶なんか全部上書きして、アンタがこの身体使っても良かったんじゃないのか?なぁ、エリオット……」
最初のショックからどうにか抜け出して。彼は、もう一つの記憶の主の…妻子を盾にプロジェクトに参加させられ、結局家族と再会することも叶わないまま、己の作品の手によって消された男の名を呟いた。
その瞬間、一度では処理しきれないほどの感情がもう一つの記憶の底から溢れ出す。
『………マナ、ナオミ…僕を許してくれ、どうか、どうか……』
嘆き、諦め、憤り……それと決意と。
『最高の狙撃手を造ろう…彼らの望み通りに』
そして自分がここにいるという事を、彼はよく知っている。
人のカタチをして、人の群れに紛れ、決して目立たずに…そして正確にターゲットを撃ち抜く射撃機械。
『チャンスは一度きりだ』
その言葉を、彼自身も覚えている。
『いつか君は君自身で進む道を選び取れるようになる。どっちを選んでもそれは自由だ……だが彼らに踊らされた愚か者として、籠の中の鳥として死んでいく、僕のようには…ならないでくれ』
自分の、最初のターゲットだった彼の言葉を。
あの時……彼の言うことの意味が判らないまま、それでも何の疑問も持たずに引き金を引いた。それが与えられた命令だったから。
彼の言葉の意味の解る今なら、それが良く判る。
彼の家族、プライド、自由、そして命。自分が、彼からあまりにも多くの物を奪い取ってここに存在している事。
そして、彼からあまりにも多くのものを託されてここに存在している事。
だから。
「……了解、俺はアンタのようにはならない。引き金を引く時は自分で決める。籠の鳥が逃げ出せるかどうか、そそのかしたからには責任取って付き合ってくれ」
「Hey,狙撃屋?時間はとっくにオーバーしてるわ、何かトラブル?」
向かいの窓から訝しげな声を上げた蒼い少女に、彼は無造作に銃口を向けると引き金を引く。
「……じゃあな、ネフェル。次会う時は、どうやらキミのご期待に沿えそうだ」
声もなく倒れたその身体が、重力にひかれてゆっくり落下していくのをしばらく見送って。
彼は何とも言えない表情で呟いた。
「俺は、まだ死にたくはないんでね」