[探し物は何ですか?]
「あのさぁ、前からなんとなく気になってたんだけど」
目の前に置かれた、丈の高いグラスの中身を口に運びながら、彼は目の前に座る相棒へと話しかけた。
「昔から、『チャンスの女神には前髪だけで後ろ髪が無い』って言うだろ?いくらなんでも、女の子が後頭部ハゲってーのは悲しいと思わないか?」
昔の人間は何を考えていたんだろうな、とスプーンをくわえて呟く彼に、彼女はげんなりした顔で、「アタシには、そんなゲロ甘パフェ半分も空けて、おまけに突然そんな事言い出すアンタのその思考のが分かんないわよ」と答える。
「そうか?美味いよ、これ」
平然とスプーンを動かし続ける彼の目の前に置かれたグラスの中には、数分前までこってりした生クリームとストロベリーアイス、シロップの利いたフルーツ盛り合わせにチョコレートソースの複合構造体が、天を衝く威容を見せて堂々とそびえ立っていた。
これまでに甘党を自認する挑戦者を最初の一口だけでことごとく葬り去ってきた、この店の名物メニュー…その名を「殺戮天使(みなごろしのエンジェル)」。
最初に彼が注文した時に、ウェイトレスが真剣な顔で「後悔なさいませんね?」と聞いたという代物だ。
食事制限、特に甘いものへの規制が厳しかったパイオニア号時代の反動がもろに出た、ある意味では時代の産んだ怪物である。
周囲がちらちらとこちらを窺っている気配を背中で感じつつ、彼女は呆れ顔で口を開く。
「なんかさぁ、最近思うんだけど…アンタって、たまぁに『チップ焼き切れた』言動するわよね。そろそろ壊れるんじゃない?」
「あ、バレた?」
さらり、と答えた彼の言葉に、ぎょっとした顔になるスピネルを見ながら、ジェイルは声を殺してくつくつと笑う。
「冗談だって。そう簡単に止まりやしないさ」
「シュミ悪い冗談はやめてほしいわ」
ため息をついたスピネルが、半目でこちらを睨んでくるのに「ごめんごめん」と謝りながら、パフェの最後の一口を呑み込んで、彼はスプーンを置いた。
「よし、本日の補給終了、と」
「………なんて食事の仕方してんのよ、アンタは……あー、あれ?糖分多い方が効率いいってヤツ?」
「いや、前の彼女が好きだったんだ、パフェ。……もう死んじゃったけど。まだ引きずってるのかなぁ……なんかね、月に1〜2回くらいパフェ食べようかな、って気分になるんだ」
「……それもタチ悪い冗談?」
「ま、キミの想像に任せるよ」
ギルドの受付を一歩くぐり抜けた瞬間。
「ねぇ、ボクのベッキィを探してくれよぉ!」
キンキンと甲高い、非常に迷惑な周波数の叫び声がカウンター前のロビーに響き渡っていた。
カウンター前で声を張り上げているのは、小太りな体形をフォニューム専用のハンターズスーツに無理やり納めた、背の低い少年。
「…なんだ?」
かすかに眉を寄せたジェイルに「目ぇ合わせない!」と小声で言うと、彼の腕を引っ張ってロビーを通り過ぎ、防音仕様のミーティングルームまで引きずっていくスピネル。
「アンタ、知らないの!?あれ、ポプキンス=ヴォーテックよ。ヴォーテック商会のどバカ息子」
「…あれが?…カッコいいから、って理由で親のコネでハンターズ登録したってマジなんだな……」
一応公営の組織であるハンターズギルドだが、ギルドメンバーに支給・販売される武器や一部消耗品などは一般企業から購入している。それらを一手に取り仕切る巨大資本グループの重鎮、ヴォーテック商会の創立者にして現名誉会長、パガニーニ=ヴォーテックはパイオニア計画の出資者でもあり、その発言力というのはかなり強力だと言われているが。
「それにしても、あんな子供、しかもテクニックの素質も薄そうなのがハンターズかよ…」
ジェイルの視線の向こうでは、相変わらずポプキンス少年が「これはちゃんとギルドに通した依頼なんだ、ちゃんと受けてくれたらボクのおこづかい全部出すよぅ!」と大声を張り上げている。
関わり合いにならないほうが良さそうだな、と呟いたジェイルの後頭部を、
「何バカ言ってんのよッ!」という声とともにスピネルが力一杯張り倒した。
「…………ッ!」
ごきっ、という鈍い音。一瞬、目から火花が出たような錯覚に陥って、ジェイルは思わずその場にうずくまる。
「…………い…今絶対本気だっただろ、ネル…普通の人間だったら死んでるぞ、今の……………」
「死なないって判ってるから殴ったんでしょうがっ。…それより、こんな美味しい儲け話が目の前に転がってきてるってのに、関わり合いにならないですって?今の聞いてなかったの?「あの」バカ坊っちゃまが「おこづかい全部出す」とかほざいてるのよ?上手くだまくらかせば、かなりの額ふんだくるのも可能じゃないの…そんな事も気付かないなんて、アンタの演算素子は不良品かッ!」
「そこまで言うかキミは……でも、何もそんな報酬にこだわらなくても」
「ヤスミの弾薬4発分。まだ貰ってないわよ、アタシは」
言いかけたジェイルの言葉を遮って、スピネルの冷たい声が響く。
「それと、アンタ『先生』に治療費ちゃんと払った?こないだ督促状来て真っ青になってたでしょ」
「……ちょっと待て。俺はキミに自分の家を教えた記憶はないぞ!?」
「ふ、『紅の流れ星』を甘く見てもらっちゃ困るわね」
ちっちっち、と指を振ったスピネルは、腰に手を当てると自分より少し上にある相棒の青い目を見上げて、にやり、と笑った。
「仕事のえり好みなんかしてらんないんでしょ?さぁ、ちゃっちゃとクライアントのお話ってのを伺いに行きましょ」
「あのね、これがボクのベッキィ。本当はエリザベスっていうんだ」
差し出された写真には、依頼人に抱きかかえられた、少々面長な顔をした褐色の毛並みの犬が写っていた。
「へぇ、ミニチュア・ダックスフントか」
写真を覗き込んだジェイルが、感心したような声を上げる。
「よくパイオニアに乗せられたな…移民局とか衛生課とか、生き物の積み込みにはうるさかったはずだけど」
「なんにも無かったよ。パパがお役所のおじさんに「犬も連れて行きたい」って言ったら「いいですよ」って言われたもん」
「……あー、なるほど…」
「まぁ、そんなもんね」
納得した顔で頷くジェイルとスピネル。依頼人に写真を返し、スピネルはとりあえず基本の質問をする事にした。
「このベッキィ、だっけ?いなくなっちゃったのはいつ?」
「10日前。居住区の「外」に連れてって散歩してたんだけど、ちょっと目を離したらどっか行っちゃって…ウチのメイド部隊総出で探してもらったのに、みつかんないんだ」
ポプキンスの、これがなかったらニューマンだとは思えない先細りした長い耳が、ぺたり、と垂れ下がる。
「お願いだよ、ベッキィを見つけてよぅ、お姉ちゃん。パパが買ってくれた、ボクのたった一人の友達なんだ!」
「解った、解ったから泣かないでいいって…」
涙と鼻水でべちゃべちゃになったポプキンスから少し離れるようにして、それでもスピネルは不敵な笑み(業務用)を浮かべるとぐっ、と親指を立てて見せた。
「まぁ、アタシらに任せておきな」
「………この広い森の中で、犬一匹を探す…にしちゃ手がかりが少なすぎるとは思わないかい?」
木漏れ日の下を歩きながら、ジェイルがぼそり、と呟いた。
「……っつーか、ハンターズ限定区域を犬の散歩コースにするなって言いたいわアタシゃ」
依頼人から預かってきた写真と散歩コースのマップを片手に、ちょっと投げやり気味に答えるスピネル。
この辺一帯は、一般人の立ち入りは厳重に制限されている。まぁ、特に危険と認定された原生種…ゴブーマやヒルデベアなどの生息は確認されていないから、ハンターズ認定を持っていれば(たとえ持っているだけ、程度の腕前でも)十分に生きて帰れる場所ではあるのだが。
「この辺りだと、ラッピーの営巣区(コロニー)が近いんだったかな……ああ、いたいた」
遥か彼方の高台を見上げて、「あ、なんか動いてる。ヒナ孵ってるっぽいぜ」と声を上げるジェイル。何だか楽しそうに数百メートル向こうのラッピーの巣を覗き込む彼の後頭部を、スピネルが「遊んでんじゃないわよっ」と丸めたマップではたく。
「そんな性能のムダ使いしてんだったら、犬探してよ、犬。…あーあ、犬もラッピーみたいに際限なくデカくなるんだったら、もうちょっと楽なのに」
「……なったら嫌だと思うが」
溜め息をつきつつも、彼はごそごそと薮を覗き込み、彼女は生物の反応を探るべく頭部複合センサーを展開して周囲の情報を集め始める。
そんなこんなで、一時間もたった頃だろうか。
「…今、犬の声がしたわね」
スピネルの言葉に、ジェイルは「どうだろう」と首をかしげながらも、センサーの感度を上げて「耳を澄ませ」てみる。
「………………あー、聞こえるね。ちょっと遠いけど、大体方角は判る…かな?」
「大丈夫、ばっちり聞こえてるわ。こっち」
走り出すスピネルの後を追いながら、「遠距離走査は得意なつもりだったんだけどなぁ」と呟いて苦笑するジェイル。まぁ、外付けで専用の電子機器が装備されている彼女のものと比べると、さすがに見劣りしてしまうのは判っているのだが。
そんな事を考えながら走る彼の目の前、薮を掻き分けながら走っていたスピネルが急に立ち止まった。
「…と、どうしたんだ、ネル?」
訝しげに問い掛けるジェイルの声も聞こえない様子で、斜め上を見上げて固まっているスピネルの視線を追って上を見上げ………
彼は、一瞬自分の目を疑った。
4メートルほど上から、こちらを見下ろすつぶらな瞳。茶褐色の毛皮に覆われた「それ」は、彼らを見下ろしてぱたぱたと尻尾を振っている。
「………巨大ミニチュア・ダックスフント…とでも言えばいいのかな、これ」
「………アンタ、『ミニチュア』って言葉の意味判ってんでしょうね」
抑揚の少ない声で、ぼそり、と呟いた相棒にツッコミを入れながらも、じりじりと後退していくスピネル。
これもラグオル全域で確認されている「生物の突然変異」の一種なのだろうか、10日間の間に巨大化してしまった…としか思えない犬は、じっとこっちを見下ろしている。
しかし、敵意は感じられないとはいえ、ヒルデベアの優に1.5倍はある高さに頭がある生き物というのは、そのサイズだけですでに立派な脅威だ。
ふと隣の相棒の顔を見上げれば、なんだか彼は奇妙に強張った無表情で巨大な犬を見上げていた。
(コイツ、本気でびっくりするとこんな顔になるのね…)
妙に冷静な事を思っていた彼女の目の前で。
「わんっ」
元気よく一声吠えた巨大お座敷犬は、人懐っこそうな目をきらきらさせながら、彼女達に飛びかかってきた。
「ま…まだついてきてるー!?」
悲鳴を上げながら、全速力で森の中を駈け抜けるスピネル。
「…あたりまえだろ。こっちが走るから、追いかけて来てるんだよ」
その横を、彼女とほとんど変わらない速度で疾走するジェイル。
背後からは、低木をへし折る音と、上気した息遣い。
「……絶対、遊んでるつもりなんだろうなぁ……」
ちらり、と後ろを振り返ったジェイルが、溜め息混じりに呟く。
「のんきな事言ってる場合じゃないわよ、このままじゃ居住区………」
言いかけて、突然言葉を切るスピネル。遥か前方、居住区のゲート前に、落ち着かない様子でうろうろしている小太り少年を発見したためである。
近づいてくる物音に顔を上げたポプキンスが一瞬固まり……そして叫んだ。
「ベッキィ!ベッキィだね!?」
一瞬の間。
「………避けろ、ネルっ!」
不穏な物を感じて、とっさにスピネルもろとも横っ飛びに転がったジェイルの頭上を、突如として加速した褐色の塊が飛び越えて行く。
「ベッキィ〜!!!」
「わんわんわんわんわんっ!」
滂沱の涙を流しながら叫ぶ飼い主めがけて、その愛犬は一直線に飛び込んでいき………………
ぷち。
「ありがとう、お姉ちゃん達!」
頬や額に幾つも絆創膏を貼りながらも、ぶんぶんと二人の手を取って喜色満面の笑みを浮かべるポプキンス。
その後ろでは、先程彼目がけて勢い良く飛びついた巨大お座敷犬がお行儀良く「おすわり」をしている。
…普通だったら絶対死んでる。
そうジェイルは思ったのだが、実際に(なぜか)依頼人は無事なので、黙っておく事にした。
「まぁ、アタシらにかかれば、ざっとこんなものね」
得意げな顔で胸を張るスピネルを尊敬の眼差しで見上げていたポプキンスが、ポケットから高級そうな革張りの財布を引っ張り出すと口を開ける。
「じゃ、報酬払うよ……これ、ボクのおこづかい全額」
そう言いながら彼が差し出したのは、コインが数枚。
「………………500メセタ?」
「うん。」
あっさりと頷くポプキンス。
「パパがいつも言ってるんだ、「お金の大切さを知るために、おこづかいは毎月500メセタまで」って。今月はまだ使ってなかったから、全部お姉ちゃんたちにあげるね」
「……どーも…………」
虚ろな引きつり笑いを浮かべるスピネルも、周囲の視線も一切気に留める様子もないまま、愛犬にまたがったポプキンスは意気揚々とギルドを後にする。
その背中を見送って、ジェイルは燃え尽きて真っ白になった相棒の肩にぽん、と手を乗せると口を開いた。
「……だから言ったろ?関わり合いにならないほうが良さそう、って」