[引退した剣士をめぐる冒険。(前編)]
「人を探して欲しい。大至急でだ」
トリムと雪風の前に立つ、浅黒い肌のハンターはそう言うと、僅かに眉をひそめた。
「本当なら、人捜し程度なんざアンタ達に頼むような話じゃないんだろうが、あいにく探す場所も探す相手もハンパじゃないんでね…場所はラグオル地下遺跡、探してほしいのは『DB』だ」
「ドノフ=バズか。だが、現役を退いて久しいと聞いたが」
雪風の言葉に、そのハンターは軽く頷く。
「さすがの英雄も、寄る年波には勝てないって事さ。ましてや、近頃は体調が思わしくないとかで長期入院生活だ。そのDBが、病院から姿を消した……あ、煙草吸っても構わんか?」
頷く二人に「すまん」と手を上げて。彼は内懐から取り出した紙巻き煙草を一本くわえると火を点け、立ち上る煙を深く吸い込むと再度口を開いた。
「目撃者の証言と転送装置のログから、DBはラグオル地下…それも遺跡深部へ向かった事が判っている。己(オレ)らの任務は、彼を今から3時間以内に捜し出すこと。以上だ」
「……3時間?」
思わず声を上げたトリムに、彼は軽く頷いて見せる。
「DBの病状は思ったより深刻らしくてな。定期的に与えないといけない薬があるんだそうだ。病院を抜け出したと思われる時刻から推算して、どんなに余裕を持たせたところであと3時間程度、らしい。無茶苦茶な条件とか言われたらそれまでなんだが…頼む」
「それは構わぬが」
自分より頭一つほど低いヒューマーを見下ろして、ぼそり、と呟く雪風。
「まだ、お主の名を聞いておらぬ」
「っと、こいつは失礼」
僅かに苦笑を浮かべて、彼はおもむろに名を名乗った。
「己はケン=タングラム=アウルスバーグ。仲間内じゃ『KTA』で通ってる。ま、好きに呼んでくれや」
「じゃ、けーさんって呼んでいい?」
「……まー、好きにしてくれ」
ちりりりん、という微かな音に、トリムは思わず振り向いた。
どうやら鈴の音らしい、その音の出所はハンターズギルド前の大通り、その両脇に植え込まれた街路樹の向こうから。
「なに?」
小首をかしげたトリムの足下を、素早い動きでこちらへと駆け寄ってきた小さな生き物がすり抜けた。そのまま、彼女の後ろを歩いていたケンの肩の上に、ぴょい、と飛び乗る。
白黒焦げ茶の毛皮に包まれた、首に赤いリボンを結んだ子猫。
「うわ、猫だ!けーさん凄いっ、それホンモノの猫だよねっ」
感嘆の声を上げるトリムを見下ろして、三毛の子猫は「にゃぁ」と声を上げた。
「うわああああああ可愛い可愛いー」と身悶えるトリムを苦笑しながら見ていたケンが、ひょい、と子猫を抱き上げると自分の目線の前へとその顔を近づける。
「さて、己はこれから仕事なわけだが」
「みゃー」
「すぐに帰ると思うけどな、その間と、もし己が帰ってこなかったら、自分のエサは自分で稼ぐんだぞ?」
「にゃあぉ」
言われている言葉がわかるかのように声を上げる子猫を地面に下ろし、その頭をわしわしと撫でると彼は地下へのトランスポーターへと向かって歩き出した。
「んじゃまぁ、行ってくるぜ。ちゃんと留守番してろよ」
「んにゃぁ」
地下遺跡の中は、最初にその扉が開かれた頃から変わらず、うっすらと瘴気を漂わせた冷たい空気で満たされている。
「相変わらず、やーな感じ…」
厭そうな表情で周囲を見回しながらも、トリムは手にしたM&A60の重みを確かめると最初の一歩を踏み出した。
携帯端末を起動させ、ギルドにアクセス。ハンターズIDを頼りに、探すべき人の居場所を検索する。
「ドノフさんのID古いから、まだ登録されているかどうかわかんないけ…………いた!第3階層のB-15地区!残り時間、あと2時間54分24秒!」
「随分遠いな…間に合うのか?」
呟いたケンに、「間に合わせるんだ」と答え。
薄い闇の中、彼女は勢いよく駆け出した。
「乾ききっちゃいねェな。そんな遠くないかもしれん」
床に広がった黒紫の染みを軽くなぞり、紫煙を吐き出したケンは立ち上がると周囲に視線を巡らせる。
「F-20、ここからだとそこの通路を一直線かな………あと、1時間08分51秒」
携帯端末の画面を睨みながら答えたトリムが、まるでばね仕掛けのように、くるん、と背後を振り返った。
「どうした?」
「何かいたんだけど……反応が消えちゃった。D型生物っぽい感じだったけど」
雪風の問いに、首を傾げながら答えるトリム。
「崩れちまったんじゃねェか?連中、構造が不安定だからな。それより急ぐぜ、お嬢ちゃん。こっちをまっすぐでいいんだな?」
「うん………」
曖昧な返事を返しながらも、先を行く男達の背中を追いかけて、トリムはぱたぱたと小走りにその場を後にした。
トリムが初めて見るその老人は、思っていたよりもずっと小柄だった。
そして、その隣に立つ、褐色の肌のハンター。
「とっつぁん……それにウィル!お前、なんでンなトコに!?」
「あ、兄貴ッ!?なんで、って、それはこっちのセリフだ!」
互いを指さして素っ頓狂な声を上げる男達を何だか愉快そうに眺めていたドノフは、しかし不意にその場にうずくまり咳込むと、苦しげに顔を歪める。
「だ、大丈夫!?」
慌てて駆け寄り、その背中をさするトリムに軽く手を上げて見せて。
立ち上がったものの、剣に身を預けて立つのがやっと、といった様子のドノフの姿に、我に返ったらしいケンがポケットから薬瓶を取り出した。
「全然大丈夫じゃねェだろ……ほらとっつぁん、病院から預かってきた薬。手遅れにならないうちに、それ飲んで帰ろうぜ?」
「………」
無言で薬を受け取り……それを、封を切る事なく足下の床へと叩き付けるドノフ。
「ドノフさん!?」
突然の事に、思わず声を張り上げるトリム。
「とっつぁん!?バカ、死ぬ気かよッ!?」
血相を変えて詰め寄るケンに、思ったよりも静かな顔でドノフは「すまんの」と答えた。
「…だがの、ケンや。儂はよってたかって実験動物のように長生きさせられるよりも、やはり剣士として死にたいんじゃよ」
時々咳込みながらもしっかりとした足取りで立つ老剣士は、そう言うと手にした斬馬刀を担ぎ直して踵を返す。
「老い先短いジジイの、最後の我が侭くらい…見逃してくれい」
「…じゃ、兄貴。悪いけど、そういう事で。俺は師匠についてくから…一応、これも依頼だしな」
軽く手を上げてその後に続こうとしたウィルの背中に、低い声が飛ぶ。
「…………本当に、それだけか?」
雪風の問いに、ウィルは振り向かないまま、小さく頷いた。
「まーな。」
「…何で付いて来る?お主らの用は終わったじゃろう」
息を切らせながらも目の前の亜生物を切り払いながら、ドノフが問う。
「そう言われて、ハイさようならって帰れるかよ」
鞘を払った刀を片手に、顔をしかめながらケンが答える。
「オレはまだ諦めてないですっ。ドノフさんが倒れたら、そのまんま病院まで引きずってきますからね!」
散弾銃の反動に振り回されそうになりながらも、歯を食いしばって踏みとどまるトリムが声を張り上げる。
そして無言のまま、雪風が大剣を振る。
「………」
何も言わず、僅かに苦笑したドノフが、ふと厳しい顔つきになったのに気付いて。
「…どうしたの…………」
尋ねようとしたトリムが、びくん、と顔を強ばらせた。
同時に、三人の男達も己の得物を構え直す。
"これはこれは……流石に皆様聡くていらっしゃる"
含み笑いと、どこかからかうような響きを交えた声が、どこからともなく響いた。
それと共に、複雑な模様が刻まれた遺跡の壁…その隙間から、にじみ出るように影の塊が現れる。
「だ……誰っ!?」
トリムの声に応えるかのように。
その影はずるり、と伸び上がり、やがて、人のような形をとって立ち上がった。
その全身を覆う黒い色が、まるで潮が引くように退いていった後には、青白い顔。
「ドノフ=バズ様、ですね?」
端正な顔に、僅かな笑みを浮かべて。
慇懃な口調のフォーマーは、その長い髪を揺らして優雅に一礼した。
「そしてアウルスバーグ家御当主と弟君、そちらは……雪風殿とお見受けいたします。まさか斯様な場所で御高名な皆様とお会いできるとは、夢にも思いませんでした」
「貴様………一体『何』だ」
刀の柄に手をかけたまま、ケンが低く問う。
その隣で、やはり剣を構えたウィルが…ひどく険しい顔をしているのに気付いて。
あまりにも張りつめたその態度にトリムが疑問を抱く間もなく、低い笑い声が場の空気を震わせた。
笑っているのは、金髪の魔術師。
「私が用があるのはドノフ翁お一人…あなた方には、知る必要も無ければ、権利も無いのですよ」
低い笑い声を遮ったのは、それよりも尚低い声。
「儂に用があるというのなら、名乗れ。礼も知らぬ者と話す気は無い」
その言葉に一瞬笑いを引っ込め、舌打ちでもしそうな表情になりながら、しかし男は再度笑みを浮かべると大仰に一礼をしてみせた。
「……これは、私とした事がとんだご無礼を。私はロムス=ナイトストーカー…ロムス、とお呼び下されば結構。故あって申し上げられませんが、ラボ系列のとある組織…そこの研究機関に籍を置いております」
貼り付けたような笑みのまま、一行の周囲をうろうろと巡る魔術師。
「我々の組織は、貴方のような人材を求めているのですよ。老いてなお衰えを知らぬ技、かつてあのような事件で軍籍を剥奪されてなお、軍、ハンターズ、両者からの高い評価…その技においてもカリスマにおいても、そう、あのヒースクリフ=フロウウェン閣下と引けを取らない稀代の英雄…そのような人材を、このような場所で朽ちさせるには余りにも惜しい」
ぴたり、と立ち止まって。ロムスはドノフの顔を覗き込むようにしながら、もう一度口元を吊り上げた。
「いかがでしょうか…我々の組織で、ちょっとした実験に立ち会ってさえいただければ、それで良いのです。何でしたら、ご病気を治すためのお手伝いもいたしますよ」
「断る、と儂が言ったら…御主どうするね?」
ドノフの言葉にも、その笑みを崩さないまま。
ロムスは、一歩後ろに下がるとぱちり、と指を鳴らした。
「残念です。私としては、あまり事を荒立てたくはなかったのですが……上から、貴方を当方にお迎えするに当たって生死は問わない、という命を受けておりますので」
ざわり、と空気が泡立った。次々と実体を得ていく無数のイキモノ達に囲まれて、魔術師は微かに溜息を付く。
「本来ならば、この程度で充分なのでしょうが…貴方達が相手です、念には念を入れさせていただきます」
その言葉に応えるように、石造りの床面にまるで水溜まりのように闇がわだかまり始めた。
黒い霧のようなものが、次第に凝って形を成していくのと対称的に、ロムスの全身から色彩が消え、その姿は次第にのっぺりとした闇に染まっていく。
鋭角的なシルエットの闇が立ち上がるのと、ほぼ時を同じくして。
"それでは、私はこれにて……後ほど、回収に上がらせていただきます"
笑いを含んだ声を残して、影に溶けた魔術師の姿が消え失せた。