[緑の魔術師]
「モルガン様、ブーランジェ様がお見えです」
少年の声を道案内に、その場に現れた恰幅の良い紳士は眼鏡の奥の細い目をさらに細めて、モルガンから手渡された「商品」のリストを眺め渡した。
「ふむ、こちらの希望は揃っているようだね。それで、君が言っていた特別な商品はどうしたかね?」
一見穏やかな、しかしどこか厭らしい気配の漂う笑みを浮かべたまま、ブーランジェはリストを弾いてモルガンを見やる。
「最近は養殖もののペットも飽きてきたのでね、君の言う『野良』を楽しみにしてきたのだよ」
「それならば、ちゃんとここに」
頷いて、モルガンは人のよさそうな笑みを浮かべたまま、くるり、とクロエの方を振り向くと口を開いた。
「という訳だ、クロエ=ウェインズ嬢。いやはや、最初は見事に騙されたがね」
「!」
振り返るクロエの周囲を即座に取り巻くハンター達の中。
「最初から、判ってたのね…」
唇を噛むクロエを見下ろして、「我々はそれほど間抜けではないよ」と笑うモルガン。その表情が、一転して厳しいものへと変化した。
「最近、我々の動向を嗅ぎ回っているイヌがいるのは判っていたのでね。…依頼主は統治局か?それともヴォーテックか?素直に答えた方が、君の身のためだと思うぞ」
無言のまま、腰から下げたスライサーに手を伸ばすクロエを見ながら、ブーランジェが満足そうに目を細める。
「なるほど、これは躾け甲斐がありそうだな。あまり手荒な事はしないでくれたまえよ、モルガン君」
大事な商品にあまり傷をつけないでくれ、と言うブーランジェを睨み付け、「誰が商品ですって!?」と叫ぶクロエを背中に庇うようにして立ちながら、ジェイルは内心「そういうことか」と呟いた。
(奴らの狙いはそっちか…でも、クロエは奴らが探してる相手じゃない)
最も、それが判明したところで厄介な状況である事に変わりはない。
「おっと、そこの君もあまりおかしな真似はしない事だ」
おもむろにヴァリスタを抜いたジェイルに、モルガンがやんわりと釘を刺す。
周囲から向けられる銃口と切っ先の中、それでも悠然と立つジェイルは傍らのクロエへと小さく囁いた。
「………今から三つ数えたら、コンテナの後ろに飛び込むんだ。耳は塞いでおいたほうがいい」
彼女が頷く気配に「よし」と頷き返し、彼は口の中で術式発動のキーワードを呟いた。
ターゲットはクロエ。シフタとデバンドの並列処理を実行すると同時に視界の隅で術式起動制限数が2つ減ったのを確認して、自分も手近なコンテナの陰へと飛び込みながら、相棒へと合図を送る。
[Jailbird:>> ネル、今だ!]
轟音が、洞窟内部の空気を揺るがせた。
至近距離での爆発にひしゃげた隔壁の向こうで、深紅の影が次第にはっきりとした姿を結び始める。
「まだ仲間がいたのか!」
舌打ちしたモルガンが腰から下げていたセイバーを抜くと、突然の乱入者に動揺する周囲のハンターズに向かって声を張り上げた。
「相手はたった3人だ!娘は生け捕りにしろ、後は殺して構わん!」
「…ふーん、随分な自信だ事。アタシが誰だか知っての事かい?」
からかうような響きの声に少し遅れて、声の主は薄闇の向こうから姿を現した。
レイキャシールにしては珍しい長身のボディは鮮やかな紅。右の手にカスタムレイ、左の手にヤスミノコフ2000Hを携え、口元に不敵な笑みを刻んで立つ、その女の名は。
「知らないってんなら教えてやるぜ…アタシはスピネル、SPINEL R9/GX………人呼んで、紅の流れ星!」
「……スピネルさん、何だか妙に嬉しそうなんですけど」
「………なんかね、ああいう時やたら楽しそうだよ、ネルって。わざわざ自己主張して、余計なトラブルを呼び込むってのは俺としては戴けないんだが」
高らかに名乗りを上げるスピネルの声をコンテナの陰でスライサーを構えながら聞いていたクロエの呟きに、ぼそり、とジェイルが答える。
だけどね、と呟いて、彼は微かに口元を緩めた。
「あの『名前』には、それだけの価値は十二分にあるんだよ。特に、こういう連中にとってはね」
そして、それは現在彼らの目の前で事実として実証されている。
「流れ星だと!?」
驚愕に顔を歪めるモルガンのみならず、幾人かは明らかに逃げ腰になるハンターズ達の狼狽える様に、にぃぃっ、と凶悪な笑みを浮かべて応えるスピネル。その手の中で、主人と同じくらい剣呑な獲物が牙を剥くべく、かちり、と安全装置の外れる微かな音を立てた。
「お…オレは抜けさせてもらうぞ、モルガンさん!こんなの契約と違う!」
じりじりと後ずさり、彼女から少しでも遠ざかろうとしていたハンターズの一人が引きつった絶叫を上げるのと同時に、スピネルの右手のカスタムレイが轟然と吼えた。
「こんなイイ女放って帰るなんて、つれない事言うじゃない?」
足を撃ち抜かれ、悲鳴を上げて転がる男を見もせずに。口元に笑みを浮かべたまま、スピネルは無造作に一歩を踏み出す。
彼女が歩を進めるたびに、じわり、と後ずさるハンターズ達。
が、スピネルもこの人数相手には少々やりにくいらしく、油断なく周囲を牽制しながら、未だに次の引き金を引くことができないままだ。
コンテナの向こうに隠れたクロエの方へと向かったハンターズも、ヴァリスタを向けられて固まっている。
「モ、モルガン君!何をしているのかね!?たかが三人だろう!」
喚くブーランジェが、傍らの少年に向かって声を張り上げた。
「アイヴィ!お前の術であいつらを黙らせろ!いいか、あの娘には傷をつけるな!」
「……了解しました」
小さく頷いた少年の指先に、微かな光が煌めく。
一瞬の間の後、雷鳴と閃光が洞窟内の空気を震わせた。
焦げた臭いを漂わせて、微かに帯電した空気が流れる中。
強烈な電撃にさらされ、地べたに転がって呻くハンターズ達。
「あ……れ?」
カスタムレイとヤスミノコフを構えたまま、スピネルが呆気にとられた顔で周囲を見回す。
「……ど、どういうつもりだ、アイヴィ!お前、主人に逆らう気か!?」
「嫌ですねぇ、汚い手で触らないでくださいよ、ブーランジェ様」
顔を引きつらせ、少年に食って掛かるブーランジェ。その胸倉へと伸ばされた手を無造作に払いのけ、少年はその可愛らしい顔に微笑みを浮かべたまま口元を微かに歪めた。
「勘違いしないで下さいよ?…僕はご主人様には絶対従います………僕の、ホントのご主人様にね」
「……!」
後ずさったブーランジェに、少年は笑顔のまま告げる。
「というわけです。観念して下さいね、ブーランジェ様…いえ、マティアス・ブーランジェ総務。我がご主人様とそのクライアントは、貴方が好き勝手するのを快く思ってませんよ」
「貴様、さては総務会長の……ヴォーテックのイヌか!?」
その言葉には答えず、少年は軽く肩をすくめると手を伸ばした。
その指先に再び光が煌めき始めるのを見て取ったブーランジェは、青ざめて引きつったままの顔をさらに歪めると身を翻し、一目散に隔壁の向こうへと駆け込もうとする。
「無駄ですよ」
少年が術を放つべく腕を振り上げた、それよりも早く。
「逃がすもんですかっ!」
一直線に疾走してきたクロエが、見事な跳躍を見せるとブーランジェの背中めがけて渾身の跳び蹴りをお見舞いする。
体勢を崩してよろめいた所に、少し遅れて飛んできたギゾンデを喰らい、ブーランジェは「むぐぅ」と踏みつぶされたカエルのような声を上げると、白目を剥いてその場に倒れた。
ぐるぐる巻きに縛り上げたモルガンとブーランジェ、そして雇われハンターズを見下ろしながら。
「この人たちの処置は、そちらにお任せしますよ。僕らのクライアントは、その結果で充分でしょうしね」
そう言って、少年はばつが悪そうに頭を掻いた。
「ごめんなさい、巻き込んじゃったみたいで」
「どうなる事かと思ったわ」
憮然とした顔で呟くクロエに、再度「すみません」と頭を下げ。
「でも助かりましたよ、お陰で僕から目がそれて」
くすくす笑いながら、ゲートを開いた少年の姿が消えるのを見送って。
「結局、出番が少なかったなぁ」と呟いたスピネルに、「それでいいじゃん」とジェイルは答えた。
「他力本願大いに結構…無駄な労力使わないですんだのはありがたいと思わなきゃ」
「……たまーに思うんだけど、アンタって時々つまんない男ねぇ」
「俺は余計な争いはしない主義なの」