[Forget me not.]
ラグオルの空は、今日も晴れ渡っている。
「あー………いい天気だぜちくしょー…」
ハンターズギルドの建物とは通りを挟んで丁度向かいになるカフェで。彼はそう呟くと、その長身を納めるには少々窮屈な椅子に座り直した。
目の前には、手つかずで放置されている水の入ったコップと、やはり手つかずのおしぼり。
困惑気味の様子でこちらをちらちら眺める店員をあえて見ないようにしながら、溜め息をひとつついて。
「なぁ、やっぱ俺ら浮いてないか?」
向かいの席で、やはり落ち着かなげに座り位置を何度も変えている小柄なレイキャストの言葉に、
「……言うな、ブレッド」
R10はテーブルに頬杖をつきながら、その蒼い目を不機嫌そうに瞬かせた。
「待ち合わせでなかったら、俺だってとっくに逃げてる。」
視界の隅っこを、ふわり、と小さな影が横切る。
虚空をひらひらと舞う、一羽の黒揚羽。
「あ………」
思わず振り返り、ジュリアはラグオルに存在するはずのない「それ」の行方を目で追いかけた。
黒い蝶は、ひらひらひらひらと舞い続けている。
その動きを追いかけていたジュリアの視線が、自分と同じくらいの年頃の少女の視線と一瞬ぶつかった。
が、自分の周囲を飛ぶ揚羽蝶に気付いた様子もなく、少女はそのまま彼女の目の前を通りすぎていく。
軌道車両のドアの向こうへと消えていった後ろ姿と、人込みの中でさえはっきりと見える揚羽蝶を見送って、ジュリアは小さく呟いた。
「……なんやろ、あのこ……怖いモノやないみたいやけど、あんなまとわりつかれて」
『……なぁ、じゅり〜。』
考え込んでいた彼女を、間延びした細い声が現実に引き戻した。
『じゅりの降りる駅、さっきのとちがう?』
「え?………あああああ〜!?」
R10とブレッド、場違い極まりない二人組の目の前に置かれたコップの水が、すっかりぬるくなった頃。
「あー…ごめんなー、テンちゃん〜。ブレピっちもごめん〜」
ぱたぱたと小走りにやって来たジュリアが、R10の隣の席にちょこん、と座る。
「軌道列車、乗り過ごしてもた〜……えーっと、きなこミルクひとつ。」
「…ジュリアさん、そーいう時にまずする事は?」
妙にほっとした様子でオーダーを受けに来た店員が立ち去るのを見送って、R10が口を開いた。
口調こそ普段とあまり変わらないが、かなり怒っているのが声の調子でわかる。
「ごめん。今度から連絡、ちゃんとするさかいに」
「…………約束だぞ」
僅かに口調を緩めて、椅子に座り直すR10。そんな彼を見ながら、ブレッドが「くっくっく」と笑う。
「大変だったもんなぁ、ここ30分ばかし。『じゅりに何かあったんじゃねーか』ってそわそわしてるしさぁ」
「うるせー。」
「で?今日はどうすんだっけ?」
ようやくたどりついたハンターズギルドのロビーで、そう呟いたR10がジュリアを見下ろす。
「ウチ、『RES』やりたいねん。いい成績出すとおまけ貰えるって聞いたんや」
「あ、それは俺も聞いたなぁ」
ジュリアの言葉に頷くブレッド。「そうなのか?」と訊ねるR10に、彼は「おう」ともう一度頷く。
「まぁ、結局はゲームの景品みたいなモンだから、そんな良い物でもないみたいだけどさ。うわさじゃ最高成績でクリアすると『闇鴉』が手に入るとか…まだ手に入れた奴いないみたいだから、ガセじゃねーかと思うけど」
「じゃねーの?天下の妖刀が、そう簡単に手に入る訳ねーし。」
「………テンちゃん、今一瞬欲しい思ったやろ」
そんな他愛ない会話をしていた三人の声を遮るようにして。
「お願いです…ブラントを、捜し出してください!」
ロビーに、細いがよく通る声が響き渡る。
「……あのこや………」
声のした方に目をやったジュリアは、思わず呟いた。
ギルド認可のフォマールである証拠の認識票を下げてはいるが、どこか頼り無さげな小柄な少女…そして、その周囲を舞う黒揚羽。
間違いない、あの時軌道車両で見た少女だ。
「お願いです、ブラントとチームを組んでいた貴方達なら、きっと…!」
彼女が声を上げた相手は、深紅の装甲を纏ったヒューキャスト。どことなく困ったような様子で佇んでいた彼は、しばし沈黙していたがやがて口を開いた。
「マァサ殿、あの男が姿を消してもう3ヶ月にもなる……ブラントは……もう帰らないのだ……」
「まだ、わかりません!ブラントはわたくしに、必ず帰ると申しました!……ブラントは、約束は守ります…………」
半ば泣き叫ぶ少女と、その肩に留まる黒揚羽を見ながら、ジュリアは眉を寄せる。
(……駄目や。そんな事言うたら……あかんのや………そのひと、困っとるやないか…)
3ヶ月。その間、ずっとあの揚羽蝶は彼女の側を飛んでいたのだろう…誰にも、一番気付いて欲しい人にも気付かれる事のないまま。
「……どうした、じゅり?」
頭上からの声に、はっとして顔を上げるジュリア。
見上げた先には、どことなく気遣うような気配を浮かべた蒼い目。その視線が、つい、と動いて少女の方を向く。
「あの子がどうかしたのか?知り合いか?」
「ううん、全然知らんけど……」
首を振り、ジュリアは再び少女の方へと視線を向けた。
「でも、放っておけないな思うて。…ウチらで、探してあげられんかなぁ」
「俺も、そう思うな」
さっきからずっと黙っていたブレッドが、不意に声を上げた。訝しげに見下ろすR10に、
「あの子が言ってるブラントさん、俺が駆け出しの頃お世話になった人なんだ」
これも、その時に譲って貰ったものだし。
そう言って、ブレッドは腰から下げたサプレストガンを軽く叩く。
「あの人ほどのレンジャーが、そんな長い間帰らないって事は、もう駄目なんだろうけど………せめて確認させてあげたい、とか思うんだよな」
「…………………」
しばらく黙ったまま腕組みしていたR10だったが、やがて彼は小さく溜め息をつくと、ぽん、とブレッドの肩を叩いて歩き出した。
泣き崩れる少女と、無言のままの紅いヒューキャストの傍らへと歩み寄り。
R10はその場にしゃがみ込むと、突然現れたハンターに驚いたように目を見張る少女の顔を覗き込みながら、にっ、と笑った(最も、彼が「笑った」と判ったのはブレッドと紅いヒューキャストくらいだろうが)。
「お嬢ちゃん、その依頼、俺達が受けるぜ」
少女は、マァサ=グレイブと名乗った。
「俺は雪風。こっちはジュリアで、こっちのがブレッド。」
「雪風さんとジュリアさん、それとブレッドさん、ですね」
ぺこり、と頭を下げて、マァサはぽつりぽつりと事の次第を話し始めた。
両親が政府付けの研究機関に勤める科学者であり、幼いころから一人で過ごすことが多かったこと。
そんな彼女にとって、執事のブラントが父親代わりであったこと。
そして、パイオニア2がラグオルに到着してしばらくした頃、彼がマァサに何も言わずに出ていってしまったこと。
「もうずっと、ハンターズは引退したって言ってたのに……その日、ハンターズスーツを着て、大きな銃を持ったブラントがラグオルに向かうのを見た、って……」
洞窟の探索隊に加わっていたハンターが、途中で彼とすれ違った、と言っていたのを最後にブラントの行方は途絶えたという。
「ブラントに、会いたいの……」
うつむくマァサの頭に軽く手を乗せて。
「分かった。俺たちが、あんたを必ず連れてく……けど、これだけは約束してくれ。途中で何があっても、何を見ても逃げ出さないこと。いいか?」
そう言ったR10の言葉に、マァサは小さく頷いた。