[引退した剣士をめぐる冒険。(後編)]
さほど広くはない、それでも大きな部屋に溢れ返る異形の群れに囲まれながら。
「やれやれ…儂らも随分と軽く見られたもんだ」
斬馬刀を構え、老剣士は傍らに立つ漆黒の長身を見上げる。
「このような場所でなければ、御主一人で充分であろうに……のう?」
黙ったまま、雪風が愛用の大剣を眼前に構えた。
それを合図にしたかのように。
異形のイキモノたちが、ずるり、と間合いを詰めた。
ディメニアンやクローといった、見慣れたD系亜生物…それらに混じって佇む、異形のカタチ。
大鎌に似た武器のようにも見えるものを持ったもの、腕そのものが長い刃と化しているもの…どことなく歪な、黒い影の塊はゆらゆらと蠢きながら、その形を解いたり再構成したりしつつ、一行の周囲を取り囲もうと動く。
「こいつら、いったい…」
重い散弾銃の代わりに、ヴァリスタとレールガンを取り出して。
ディメニアンの頭を撃ち抜き、クローを叩き落とすトリムが、不安げに呟いた。
「研究所、とか言ってやがったな。新種のD型生物でも作ろうってハラか」
目の前のディメニアンを一刀の下に斬り捨てたケンが腰に帯びた一対の、その片割れを抜き放つ。
両脇から振り下ろされた刃を受け止める白刃…右の手には大振りの太刀、左の手にはやや細身の脇差。
返す刀が翻り、両断された異形のイキモノが、闇となって散り崩れ虚空に舞う中で。
消えかかった煙草をくわえたまま、二刀を構えたケンは、にいぃぃっ、と口元を釣り上げた。
「てめェら相手に抜くような剣じゃねーんだがな、スペシャルサービスだ…今宵の雷吼は、ちーっとばかし違うぜェ?」
「カッコつけてる場合かよ」
兄弟のやり取りを横目で眺めながら。
「変わっとらんな、御主らは」
どこか懐かしげに呟いて、ドノフは口元を微かに綻ばせた。
「…さて、あの失礼な若造の度肝を抜いてやるとするかの」
カートリッジを再装填するなり跳ね上げた銃口から吐き出された弾丸が、ドノフの横から回り込んでいた5匹のクローを立て続けに闇に還す。
ウィルの周囲にたかっていたディメニアンの数匹が、鋭い突きと同時に内側から勢い良く弾け飛んだ。
「ああもう、次から次へとしつこいな…」
舌打ちし、視線を巡らせたウィルが、新たに現れたイキモノに気付いて声を張り上げた。
「上から来るぞ、気を付けろっ!」
「おうよ」
答えたのは、低い声。
周りに群がるイキモノ達を飛び越え、ケン目がけて跳びかかったデルセイバーが一閃した白刃に切り裂かれて四散する。
「質でダメなら量で、ってこったろうな」
ふうっ、と紫煙を吐き出して。
ケンは脇差しの柄を外すと、残った刃を大刀の柄に繋いで双剣にする。
「まーでも、所詮は有象無象さ。とっとと片付けちまおうぜ?」
「ほう…お主らも、そういう台詞が言えるようになったか」
愉快そうに口の中で笑いを転がしながら、それでも己が目の前に滲み出すようにして現れた亜生物から視線は外さないまま、ドノフは手にした斬馬刀を肩に担ぎ上げた。
巨大な鎌に似た得物を携えたイキモノが、同じように得物を構えるのを認めて、老剣士は口元だけで微かに笑う。
「…ほう、なかなか出来るようだの」
<DBに其の様な言葉を頂くとは光栄至極。>
何処から発しているのか判らない錆び付いた、だが明瞭な声で"それ"が言葉を返す。
それが紛れもなく女の声である、という事にも、しかしドノフの表情は揺るがない。
「口が利けるのであれば、名乗るが良い。御主ほどの遣い手なれば、忘れはせん」
<………>
何か言いたげな素振りを見せ…"それ"は微かに首を振る。
<影には名の持ち合わせなど無し……ご無礼の程、許されよッ!>
声の残響を残して、瞬時に内懐へと飛び込んできた影の刃が、斬馬刀と打ち合って鈍い火花を散らした。
その細いシルエットからは想像も付かない膂力に、ドノフの足が、ほんの僅かだが後ろへと下がる。
紅く揺らめく大鎌が、耳を覆いたくなるような不協和音を上げるのを聞きながら。
「…"魂喰らい(ソウルイーター)"…?」
聞き覚えのあるその「声」に思わず呟くトリム。
けれども、その形は前に見たそれとはあまりにもかけ離れている。
そんな事を思っていたトリムの目の前で。
短い気合いの声と共に、一瞬僅かに引かれた斬馬刀の刃が一閃し、大鎌をからめ取るようにして跳ね上げた。
体勢が崩れた"それ"の胴を、返す刃が一文字に薙ぎ払う。
切り裂かれた断面から、気体とも液体ともつかない黒紫の闇を滴らせて。両断された"それ"の足と、続いて上半身が地に落ちる。
<………………………老いたとはいえ、やはり力で押せる相手では、無かったと…」
呟く"それ"は一瞬、黒髪の女の顔を見せ、ドノフに軽く目礼すると……たちまちの内に黒紫の霧と化して散り崩れた。
銃声と、ばらまかれたギフォイエの残滓が消えるのと同時に、最後に残っていたイキモノが拡散する。
「…っしゃ、終了っ!」
銃を下ろしたトリムが、そう言いながらもぐるり、と視線を巡らせて部屋の片隅を睨む。
「後は…」
「こいつだけだ!」
ケンの言葉を引き継いだウィルが、手にしたセイバーを壁目がけて勢い良く投擲。
壁に深々と突き刺さる青紫の刃の真下から、闇の塊が滲み出て床へと広がり…水溜まりのように広がった「それ」は、突然その表面に甲殻を纏うと、見ているほうが感心してしまうほどの速度で一同の視界から消えうせた。
「…逃げ足の速いやつだ」
周囲の空間から、気配が全て消えたのを確認して。
刀を納め、くわえたままだった煙草に火を点けながら、ケンはドノフを振り返る。
「さて行くか、とっつぁんよ。いつまでもこんなとこで足止めくらってたらかなわないから……」
振り向いた視線の先には、赤い、吹き溜まり。
「師匠!」
「とっつぁん!?」
「ドノフさん……!」
ウィルとケンの叫びを背に。おびただしい量の血を吐いて倒れた老剣士に駆け寄り、その身を抱き起こしながら。トリムは必死に彼の名を叫んだ。
間に合ってほしいと、そう願いながら、ポケットから取りだしたテレパイプを展開して。
………結論だけを言うならば。
彼女達の依頼は、失敗に終わった。
「済まねェ…必ず連れて帰る、って言ったのにな」
病室のベッドに横たわる老剣士の亡骸を見下ろして、ぽつりと呟いたケンの言葉に、
「…いえ……元を糺せば、全部の責任は私にあるんですし」
彼の依頼者だというニューマンの看護婦は、小さく首を振った。
「ドノフさんのお願いを聞いてしまったのは、私ですもの………馬鹿ですよね、私」
うつむく彼女の唇から、涙交じりの声が落ちる。
「わたし、看護婦なのに…患者さんを、助けるのがお仕事、なのに………なのに………」
「ただ生き永らえさせるのが…助けるって事じゃあねェさな。とっつぁんはとっつぁんらしく生きて、それで満足だったかも知れねェよ」
頷くように、俯くように伏せられた顔は、見えなかった。
ただすすり泣く声だけが、静かな病室に漂っていた。
僅かな参列者に見送られながら、次第に土に埋もれて見えなくなっていく棺を見下ろして。
「………ありがとうございました」
黒い服を纏ったその女性は、小さくそれだけを呟いた。
「礼を言われるような事は…してねーよ」
答えるウィルに、彼女はゆっくりと首を振る。
「義父も、私も、今まで十分すぎるくらいにしていただきました…義父が入院した時も、担当の先生と処方箋がいきなり変わった時も…今回も。私一人だったら、どうしようもありませんでした」
小さく、本当に小さく微笑んで。
彼女はその腕に抱いていた一振りの剣を、彼へと差し出した。
「これが…今回の依頼への、私と義父からの報酬です。義父を、義父として死なせて下さって………本当に、ありがとうございます」
「…お葬式、終わったかな」
ハンターズギルドのラウンジで空を眺めながら、トリムは独り言のように呟く。
「ドノフさん、さ…最後、ちょっと楽しそうだったよね」
返事が返ってこないのにも構わず、言葉を続ける。
「ヒトがどこに行くかとか、オレわかんないけどさぁ…友達が待ってるから、楽しそうだったのかなぁドノフさん」
振り返らないまま、空を見上げて。
「会えてるといいよね、だとしたら」
呟いた言葉に、無言で頷く気配を感じて、トリムはほんの少しだけ笑うと立ち上がった。
「さーて、次のお仕事探しますか」