[Remember me.]
ゲートをくぐった途端に、むっとするような熱気が吹きつけてくる。
「むー、相変わらず暑い〜…」
「行儀悪ぃぞ、じゅり」
眉をしかめたジュリアが、スカートの裾をつかんでばさばさと風を送り込むのを止めるR10。
「せやかて、暑いものは暑いんや。テンちゃんには判らへんっ。」
「だからって、お前だって一応女の子なんだから。そーいうはしたない真似していいモンでもねぇだろうがよ」
「一応って何や、いちおーって〜。」
「………さて、どこから探したもんかなぁ」
二人のやり取りはとりあえず脇に置いておく事に決めたらしいブレッドが、腕組みしながら呟いた。
ブラントの姿が最後に確認されたのは、広大な洞窟の一角…まして、彼が向かったのは今まで探索の手がほとんど入らず、マップが作成されたのもつい最近という区域。
「とりあえずは片っ端から探すしかねぇだろ」
ジュリアにぽこぽこ殴られながらも、一応会話に戻ってくるR10。
「まぁ、俺が先行するから、お前さん最後尾を頼むぜ。マァサちゃんは、じゅりから離れないようにな」
「はい」
不安げな表情で、それでも頷いて見せるマァサ。「まかしとき〜」と胸を張ったジュリアの目の前を、ふわり、と黒い影が横切った。
『じゅり、あのひと呼んどるで。』
「わかっとる!」
相棒の声に即答し、ひらひらと舞う黒揚羽の飛び去った後を追って、彼女は思わず駆け出す。
「どうしたんだ、おい、ジュリア!?」
「こっちや!」
R10の声に叫び返し、細く延びる横穴を駈け抜けるジュリア。
「何だってんだ、おい!」
慌てて彼女を呼び止めようとして、手を伸ばしたR10の視界を、一瞬だけ白い闇がよぎる。
そして、洞窟を吹き渡る風鳴りに混じる小さな囁き声。
『こっちやで、遅れんようにな』
「くそっ……ブレッド、マァサちゃんを頼む!いいか、絶対はぐれるなよ!」
訳のわからないまま、それでもジュリアの後を追って駆け出すR10。そのさらに後ろに、状況が飲み込めないままのブレッドとマァサが続く。
しばらく走ったあたりで。
突然、R10の目の前を走っていたジュリアが立ち止まった。
「うおッ!?」
危うく彼女を蹴飛ばしそうになったR10が一瞬たたらを踏んで、どうにか止まる事に成功…しかけた所に、後ろのマァサを気にしながら走っていたブレッドが勢い余って突っ込む。
「うわっ!?」
「どわぁ!?」
いくら小柄とはいえども、レイキャストの質量に後ろから突っ込んでこられてはたまったものではない。今度こそバランスを崩し、彼はブレッドもろとも派手に転んだ。
「テンちゃん、何遊んでるねん」
「誰がだ、誰が…」
見下ろしてくるジュリアを見上げて呻いたR10が、目の前に転がる物体に気付いて言葉を切る。
それは、随分と古びたメッセージパック。どことなく神妙な顔付きのジュリアが、埃をかぶったそれのスイッチを入れてから、数秒の間を置いて。
『……心ある方、どうかこのメッセージを見つけたのなら、これをパイオニア2のマァサ=グレイブ様にお渡しして欲しい。私はグレイブ家の執事を務めるブラントという者だ…』
「ブラント……!」
メッセージパックから流れ出した低い声に、マァサが小さな叫び声を上げた。
そんなマァサと、メッセージパックの上で微かに羽を震わせる黒揚羽を見やり、ジュリアは微かな溜め息をつく。
(最後まで見せる気なんやね、ブラントさん。マァサちゃんに決めさせるために)
どこからこれだけの数が湧いて出るのか、と思うほどの変異種の群れを前に。
長刀を縦横に振るいながら目の前のイキモノ達を薙ぎ払うR10が、手にした携帯用の浮遊機雷を群れの真ん中目がけて投げ込んだ。
「撃て、ブレッド!」
「おう!」
ブレッドの叫びに続いて、鈍い爆音が空気を揺るがせる。
炎に巻かれて動きの鈍った変異種を立て続けに撃ち抜いていくブレッドの背後から、小さな影が走り出た。
手早く呪文を唱えたジュリアの掌から広がった冷気の帯が、イキモノ達の動きをさらに鈍らせる。
「っしゃ、いっくでぇ、相棒ッ!」
『逃がさんで、ウチのごはんー!』
軋るような叫びを上げて虹色にきらめく刃を大きく振りかぶり。ぽんっ、と跳ねたジュリアは目の前の変異種の頭上に、全体重をかけて大鎌を振り下ろす。
「無茶するな、じゅり!」
目の前の一匹を仕留めたものの、大振りで体勢が崩れたジュリアに向かってのそり、と歩を進める変異種を長刀の一振りで切り捨て、さらに寄ってくるものを蹴り倒したR10が、ジュリアの首根っこを掴むと背後に放り投げた。
後ろで「にゃぁっ!?」という悲鳴が聞こえるが、とりあえず気にしない。
いつの間に取り上げたのか、手の中でまるで嫌がるように微かに震える大鎌を握りしめ、R10は「ダダこねんじゃねぇ、おちびさん」と呟いた。
「契約違反かもしれねーが…ちょっとばかり貸りるぜ!」
甲高い不協和音と共に金属質の輝きを帯びた刃が一閃し、周囲の変異種どもを言葉通り喰らい尽くす。
ほぼ同時に、彼らの背後で戦いの様子を震えながら見ていたマァサと、その傍らのジュリアめがけて遠くから毒液を吐きかけようとしていた巨大な食虫花が、ブレッドにその大きく開いた花弁の真ん中を撃ち抜かれ、花びらをまき散らしながらその場に倒れた。
「…ま、こんなもんか。ほら、返すぜ、じゅり」
呟いて周囲を見回したR10が、手にしていた『魂喰らい』をジュリアに手渡す。
「む〜…ウチの相棒やでー……」
唇をとがらせながらも受け取ったジュリアの手の中で、大鎌がふわり、と空気に溶けるようにして姿を消した。
『あー…よう食べたなぁ……おなかいっぱいや……』
ほわーんとした顔で幸せそうに呟く相棒の姿に、ますますややこしい顔になったジュリアの上着の袖を、マァサがちょんちょん、と引く。
「ん?」
「ジュリアさん…おでこ、すりむいてる……ほっぺたも」
「………うわ、ホンマや!…テンちゃんーっ!?よくも女の子の顔にキズ付けよったなぁ!?」
怒るジュリアだが、当のR10はといえば彼女の抗議にも特に気にする風でもなく、「そんなの、ハンターズやってりゃ日常茶飯事だってーの。ちゃっちゃとレスタでもかけときゃいいだろ?」と肩をすくめると、そのままブレッドと地図を見ながら今後の探索の検討を始めてしまった。
「もー、テンちゃん乙女心判ってへんー。そんなんや女の子にモテないでー」
ぷぅぅっ、とふくれたジュリアの様子に、マァサが小さく噴きだした。
「じゃ、わたしがかけますね、レスタ」
「え?あー、ごめんなー。ウチが自分でかければええんやった」
ばつが悪そうに頭を掻いて、ジュリアは一生懸命術式を唱えるマァサを見ながら、ふと首をかしげる。
「そういや、マァサちゃんってハンターズランクなんぼ?」
「…えっと、最初のフォマールの認定試験でもらってから上がってないから……10、です」
「なんや、もったいない〜。ランク上げておくと、ギルドで装備品買う時に割引してくれるんやで?あ、ちなみにウチは86や。」
「俺は102。」
後ろから割り込んできた声に、ぎょっとした顔で振り向くジュリア。
「ええええッ!?テンちゃん、最初ウチと会うた時、80ちょいやなかった!?」
「おう。あれは悔しかったからなー、がんがん依頼片付けたぜ?」
居住区の変異種掃討作戦なんか全部参加したしな、と言ってにやにや笑うR10と、「ああもうっ、帰ったら特訓せなッ!」と叫んで悔しがるジュリアの姿に、ブレッドが「相変わらず無意味に負けず嫌いだな、お前らは…」と呆れ顔で呟く。
「……まぁ、こういうのは極端な例だけどさ。やっぱ、単独で探索とかする時にランクで進入許可が下りない地区ってのもあるから、少し頑張ってみるのもいいと思うよ」
騒いでいる二人を横目に説明するブレッドに、
「……ハンターズになったのは、ライセンスがないとここに入れないからなんです………資格を取ったのも、つい最近ですし」
消え入るような声で答えて、マァサは目を伏せる。
「こんな事にならなければ、わたし、きっと居住区から出ませんでした………」
揚羽蝶の羽ばたきを追いかけるジュリアと、その後を追う三人……その道筋に、ぽつり、ぽつりと置かれているメッセージ。
『……パイオニア1に乗船が決まった時、旦那様は私にこう言われた…「ラグオルへは、私たちだけが行く。お前とマァサはパイオニア2にも乗ってはいけない」と…』
(聞いていたマァサの顔が僅かに歪むのを、ジュリアは見なかった事にした)
『お嬢様を置いて行くとは、なんと冷たい事を、と思わず旦那様に食って掛かってしまった私に、旦那様は、無言でご自分の研究用端末を見せてくださった。……旦那様は多くは語られなかった、が…その断片的な内容ですら、私に何か不吉な予感を抱かせるに十分なものだった………奴等が追ってきたようだ、続きは………』
(メッセージパックに僅かながら血痕があるのにR10は気付いたが、何も言わなかった)
『旦那様はああ言われたが、お嬢様はご両親に一刻も早く会いたい、と言われ…そして我々は、旦那様の忠告を無視して、ラグオルへと向かったのだ。だが、私は不安だった。この移民計画には、一体何が隠されているのか………』
(ブラントの声が微かに苦しそうだ、とブレッドは思ったが、今にも泣き出しそうなマァサにそれを言う事はできなかった)
『…ラグオルに到着した矢先に、あの事故は起こった……厳戒態勢の中、この星へと下りられるのはハンターズのみ……もはや使うまいと決めていた武具を取りだし、私はお嬢様に何も言うことなく、ラグオルへ下りる事にした。旦那様を捜し出し、真実を聞き出すために。……だが、私がここで見たのは、想像を超える惨状だった……無惨な姿をさらすセントラルドーム、その周囲を徘徊する怪物……パイオニア1の人間は、だれ一人見当たらない……死体さえも。……旦那様は、奥様は…無事でいらっしゃるのか………万が一亡くなられてしまっていたとしたら、お嬢様はどれほど悲しまれることか………』
(途切れがちな言葉に、苦しげな咳込みが混じる。メッセージパックにくっきりと残った血痕が、その場にいた全員に見えた)
ふわり、と黒揚羽が舞い上がった。
「……こっちや」
そう言って走り出すジュリアに、もはや誰も異論を唱える事無く続く。
どれくらい奥へと進んだのだろうか?地下水が小さな滝を作る広場の片隅に、血にまみれたメッセージパックが置かれて、というよりも転がっていた。
「……!」
そこで何が起こったのか察したのだろう、口元を押さえ、息を飲むマァサの肩を、R10が軽く押した。
(逃げないって言ったろ?)
思わず彼を見上げたマァサを見下ろす蒼い瞳が、無言でそう言っている。
小さく頷いて、彼女はメッセージパックの傍らにしゃがみ込むと、スイッチを押した。
『度重なる戦闘で、私もだいぶ手傷を負った……もう、旦那様を探す事は……それどころか、お嬢様の元へ帰る事も…………私の血の臭いを嗅ぎつけた奴等が…気配がする……』
ふぅっ、と小さな溜め息。そして、わずかな間。
『…思えば、私も…だいぶ長く生きた………未練はない、が、生涯に悔いがないかと問われれば…ただひとつ、お嬢様の行く末が心配だ………独りぼっちで、いつも寂しい思いをされていたお嬢様…ここで、私までいなくなってしまったら………………』
銃のカートリッジを交換する微かな音。幾度か咳込んで、声はふとその調子を変えた。
『お嬢様、旦那様たちが別の船で行かれたのは、決してお嬢様を置いて行ったのではありません。旦那様も、奥様も、お嬢様の事をそれはそれは愛していらっしゃいました。…もちろん、私も。お嬢様……お嬢様は決して、独りではありません。…どうか、強く生きて下さい。ブラントからの、これは最後の御願いです…………ああ、願わくば、このメッセージがお嬢様に届く事を……』
ブラントの最後の呟きをかき消すように、銃声が響き…やがて、全てはノイズに飲み込まれ、そして唐突に途切れた。
「ブラント………ブラント………!」
その場に崩れ落ちるように膝をつき、ぽろぽろと涙をこぼすマァサの肩に止まった黒揚羽。もう飛び立とうとはせず、小さく羽根を震わせている。
「じゅり……」
視線を向けてくるR10に、ジュリアは首を振った。
「ここまでや…残念やけど………」
ジュリアの声に、うつむいたまま声を殺して泣いていたマァサが顔を上げた。
「…雪風さん、ブレッドさん、ジュリアさん……どうもありがとうございました。…戻りましょう、地上に……」
地下に慣れた目に、日の光が眩しい。
「いいんだな?ギルドで報告したら、これで依頼終了になるぞ」
問いかけるR10に、「はい」と頷くマァサ。その大きな瞳はまだ涙で濡れていたが、もう泣いてはいない。
「わたし…本格的にハンターズの修業をしようと思います。自分の力で、前に進もうと思うんです…そうでないと、ブラントに申し訳が立たない気がして…」
「そっか」
頷き、R10はマァサの頭を軽く撫でる。その傍らで、「そうだよ」とブレッドが大きく頷いた。
「ブラントさんはさ、最後の最後までずーっと、マァサちゃんを思ってくれてたんだ。だからさ、今度はマァサちゃんが、それに応える番なんだ。ブラントさんの御願い、叶えてやってくれよ」
しばらくブレッドの顔を見上げていたマァサは、やがて力強く頷くと、ほんの少しだけ笑った。
「いつか、また皆さんと一緒に…今度は依頼人じゃなくて、仲間として行動できるように頑張りますね」
「大丈夫、かな」
報告のためマァサと別れ、ギルドへと歩を進めながらR10が呟いた。
「大丈夫だよ。ブラントさんも言ってただろ、独りじゃないって」
ブレッドが、きっぱりと答える。
「なんのかんので心配性やね、テンちゃんも……」
言いかけたジュリアの目の前を、ふわり、と黒い影が横切った。
「…………あ」
思わず歩を止めたジュリアの周りを一周すると、黒揚羽はひらひらと舞いながら抜けるような青空の中を上っていく。
やがて、その小さな影が空に溶けて消えるまで。
彼女は、ずっと空を見上げていた。