[黒の猟犬]
午後の喧噪に包まれたハンターズギルドのラウンジで。
「あの…スピネルさんとジェイルさん、ですよね?」
白い服を纏ったハニュエールの少女は、そう言って彼らの傍に立つ。
「ん?そうだけど」
「覚えてらっしゃいますか?前に仕事を依頼した、クロエ=ウェインズです」
薄荷色の髪を揺らして、ぺこり、と頭を下げた少女の顔に、「あー」と声を上げるスピネル。
「クロエちゃんかぁ…お姉さんは元気?」
「はい、相変わらず。でも、最近は…」
苦笑いを浮かべながら、クロエはラウンジの向こう側をちょっと振り返る。
その視線の先には、陽当たりの良い席で新聞を読みながらコーヒーカップを傾けるレンジャーの青年と、その隣で、まるで借りてきた猫のように神妙な顔で座っているアナの姿。
「これはまた、随分としおらしい…」
思わず呟いたジェイルに、「ええ」と頷くクロエ。
「この間、D地区で山火事騒ぎがあったでしょう。その時に巻き込まれちゃって、あそこのボガードさんに助けていただいたんです。それ以来、アナってばボガードさんにずっとついて回ってて…おかげで、最近すっかり大人しいんですよ」
くすくす笑ったクロエだが、ふとその笑顔を引っ込めると二人に顔を近づけ、小声で囁く。
「今日は、お二人にまた仕事を頼みたいんです。…ちょっとミーティングルームのほうで、いいですか?」
「わざわざこっちで打ち合わせするほどの仕事なの?」
締め切った扉を眺めながら、スピネルが問う。
「まぁ、今の所は手も空いてるから、構わないけどね。仕事のえり好みができる状況でもないし……ねぇ、ネル?」
くつくつと笑ったジェイルを睨み付けるスピネル。そんな二人の様子をよそに、クロエは真剣な顔で口を開いた。
「………お二人とも…ブラックペーパー、って知ってますか?」
それは日の当たらない場所で、ひそかに囁かれている名前。その規模があまりにも巨大すぎるために、本星統治局はおろか、犯罪捜査のプロフェッショナルと言われる治安局の特務捜査官達ですら未だ全容を掴むことのできない、国際的犯罪組織の名。
「……一応は、ね。相棒、アンタは?」
「………………」
先程までの彼とは打って変わった無表情で、無言のまま小さく頷いたジェイルの様子に一瞬眉をひそめるスピネルだが、次のクロエの言葉に気を取られて、それを詮索するのを忘れてしまった。
「姉が関わっていたハンターズ失踪事件の裏に、彼らがいるみたいなんです」
ようやくラグオル入植が本格化しているとはいえ、総督府によって人々の生活全てを保証するのは難しい現在、パイオニア2にもラグオルにも、探索途中で行き倒れたハンターズから装備品や、キャストのパーツなどを回収して売りさばくのを生業としている人間、というのが少なからず存在している。
それらの闇に流れた商品を買い取り、それを必要とする所へと流す…その取引に、正規のハンターズライセンスを持ったハンターズも少なからず関わっているという噂なら、スピネルも何度か耳にした。中には同業者を襲って、身ぐるみ剥いで売りさばくのみならず、被害者そのものをも商品としてマーケットに売り渡してしまうケースもあるらしい。
そんな連中に、楽しければいいや、と何も考えずについて回っていたアナの話を聞いて、クロエは身が凍る思いをしたという。
「…ニューマンの、しかも身寄りのない子供なら、万が一何かあった時も後腐れがない…そう思って、姉の好きにさせておいたんだと思います。もしも、もう少し遅かったら……そう思うと」
だが、総督府や治安局に報告する事はできない。知らずにそそのかされていたとはいえ、姉が犯罪行為に手を染めていたのは事実なのだから。
そして。
「彼らから誘いが来たんです。姉じゃなく、私のところに。びっくりして、断ったんですが…」
気が向いたなら、いつもの所にまたおいで。
そう言い残して、彼女を誘いに来た男は帰っていった。
「私……これはチャンスかもしれない、と思うんです」
向こうは、彼女達が双子の姉妹とは知らないらしい。ならば、自分がアナの振りをして近づき、証拠を掴むか、あるいは彼らのうちの幾人かだけでも捕らえることができたなら。
「スピネルさんとジェイルさんには、私のバックアップをお願いしたいんです。…危険な仕事なのは判っています。けど、私は姉を…今の姉をもう二度と間違った道に引きずり込まれたくない」
そう言って、クロエは懐からカードを一枚出すと、それをテーブルの上に置く。
「5000メセタ分のクレジットです。これが前金……成功報酬で、もう5000出します」
「…………受けるのか?」
クロエが立ち去った後を見送りながら、ジェイルが低い声で呟いた。
「一人頭5000なら、そうそう悪い話じゃないでしょう?それに、運が良ければ治安局から報償金ももらえるし」
テーブルに頬杖をついて、スピネルはそう答えると相棒の顔を見やる。
「どうしたのさ?なんか乗り気じゃないみたいだけど…まさかブラックペーパーの名前でビビったんじゃないでしょうね?」
「……そのまさか、だったら……どうする?自慢にも何にもならないけど、並のハンターズよりも連中の怖さは良く知ってるよ。…実際に、そこにいたからね」
ぼそり、と呟いたジェイルの顔を、改めてまじまじと見るスピネル。
「アンタ、もしかして」
相棒の言葉に、微かに口元を歪めて。
「改めて自己紹介しようか。開発・管理コード"Gunner Type-R/027"。『黒の猟犬』所属、特殊行動および狙撃用ユニット……ただし、「元」ね」
今はフリーの狙撃屋だよ、と冗談めいた口調で言いながらも、彼は小さく溜め息をつくと再度口を開いた。
「まぁ、どうせちょっとした取り引きだ、そこまでぴりぴりする必要もないとは思うけど」
「じゃあ、打ち合わせ通りにいく、って事で。クロエちゃんは、なるべくウチの相棒から離れないようにね」
太股のホルスターに愛用のカスタムレイとヤスミノコフを、肩にはパンツァーファウストを担ぎ、更には腰から吊り下げたL&K14という、まるで戦争にでも行くような出で立ちのスピネルが、「大丈夫、こう見えてもいざとなったら頼りになるんだから」と笑うのを横目に。
(いざって事態にならないほうがいいに決まってるだろうに)
平静を装いながらも、内心ジェイルは溜め息をついた。
気休め程度の変装として黒く染めた髪が微かに揺れる。前髪をかき上げようとした指先が、右目の上を覆うシールドスコープに触れた。
クロエには変装用、と言ってあるが、実際は軍用キャシールの使用する照準アクセラレータ…照準固定までの時間を短縮し、さらに視界とトリガーを直結させて反応速度を上げるための補正機器だ。
彼がクロエと一緒に取り引き現場を押さえ、自分が別行動で隙をうかがって突入する、と言い出したスピネルが持ち込んで来たものである。
『いくらなんでも、アタシじゃ顔が知れすぎてるわ。だから、ここはアンタが気合い入れなきゃ駄目よ』
『……何処で手に入れてきたんだよ、こんなの…』
『ふふふ、紅の流れ星を甘く見ちゃいけないわよ』
相棒が持ってきたそれをつまみ上げて、呆れたように溜め息をついた彼に向かって、彼女はお決まりのセリフで返してきた。
『そもそも、アンタが近距離〜中間距離射撃に向いてないのは要するに、間合いが近すぎると照準やらトリガーのタイミングやらがズレるからで。補正かければ、今よりかはマシになるでしょ?どうせFCSのセッティングいじる気はないんだろうし』
『…まぁ、そうだけど…これ、神経系への直結型だろ?まぁ、一応規格品だから合うと思うけどさ。取り付け、たぶん手間取るよ?慣らしにも時間かかるし』
『その辺は仕方ないでしょ。とりあえず、クロエちゃんには一週間もらったわ。その間になんとかしてちょうだい。…できる?』
『…不可能じゃない。ただし、100%は期待しないでくれよ』
『それで充分。じゃ、一週間後ね』
ラグオル地下大空洞・エリア2-18。
豊富な地下水と、僅かながら漏れてくる外の光によって独特の生態系を作り上げているこの洞窟は、政府の研究機関の重要な調査地域であると同時に、ハンターズだけが立ち入ることを許された空間のひとつである。
だが、変異種といえども無闇に殺す事を許されない場所であるためか、ここを訪れるハンターズはそう多くはない。
「やぁ、来たね」
どこからともなく姿を現した中年の男に、こくり、とアナ…正確にはアナの名を借りたクロエ…は頷いた。
「おじさんの言う通り、来たわ」
「…そっちの人は誰だい?」
彼女の横に佇む人影を認めて、男は不審げな視線を向ける。
「アナのお友達よ。いいバイトがあるって教えてあげたの」
「………」
無言で頷くジェイルをしばらく眺めていた男は、やがて「まぁいいだろう」と呟くと、二人に身振りでついて来るようにと伝える。
もう一度頷いて、男の後について歩き出したクロエの背中が微かに震えているのに気がついて。
「大丈夫だ」
彼女に聞こえるか聞こえないくらいの小さな声で囁きながら、彼はその細い肩に軽く手を乗せると、見上げてくる彼女に向かって小さく笑って見せた。
知っている怖さよりも、たぶん知らない方が恐怖は上なんだ。
……それに、いつまでも逃げ回ってたって解決はしない、たぶん。
少し開けた広場になっている空間には、すでに数人のハンターズが集まっていた。
その場に積み上げられたコンテナの数を見るに、かなり大規模な取り引きらしい。
「遅かったですね、モルガン様」
ハンターズの群れの中から、声が上がる。
「アイヴィか。ブーランジェさんはまだ来ていないだろう?」
端末を片手に三人の元へと歩み寄ってきたのは、緑色の帽子を目深に被ったニューマンの少年。
「ブーランジェ様からは先程、連絡をいただきました。少々遅れていらっしゃるそうですが、本日の取り引きは予定通り行われるとの仰せです。なお、今後とも、モルガン様には現場の管理を宜しく頼むとのお言葉も」
彼はそう告げると、モルガンに深々と頭を下げた。
「ハーキマーとビンドハイムも、もうじき到着する頃だろう。お前はいつも通りに連絡係を頼む。今回の商品は少々特別だからな、念入りに警備するよう伝えておけ」
少年にそう言い捨てると、モルガンは積み上げられたコンテナの向こう側に回って見えなくなってしまった。
その後を追うようにしてぱたぱたと走り去った少年の背中を見送りながら、ジェイルは小さく溜め息をつく。
(秘書か、雑用係か、はたまた愛玩用か…自分じゃ選べないものな、どうしても)
「………」
複雑な表情で少年を見送っていたクロエが、ふと真顔で彼を見上げると口を開いた。
「さっき、特別な商品って言ってましたよね。警備の人手が足りないから、姉……私に声がかかったんでしょうか?」
「かもね。まさに猫の手も借りたい状況なのかもしれない」
答えながらも、そうではないだろうことをジェイルは確信していた。
前に、こういう取り引き現場を監視する任務を与えられた事がある。
誰にも気付かれない場所で、合図があったらいつでも撃てるようにライフルを構えて。
おそらく、集められたハンターズは取り引きでのトラブルがあったときに「速やかに解決する」ための人員だろう。更に、そのうち何人かはハンターズの格好こそしているものの、ライセンスを持っていない擬装ハンターである事に気付いて、彼は僅かに眉をしかめた。
(改造武器持ってるのが…3人?ひどいな、普通のハンターズスーツじゃ防げないぞ、あんなの)
それでも相手は人間…自分一人なら、たぶん逃げ切れる。だが、クロエはどうだろう?
ハンターズの鉄則は、依頼人の安全の保護。いざとなればスピネルの援護があるとはいえ、これだけの人数と装備を相手にするには少々荷が重い。
そう、引っ掛かるのはこの不自然なまでに厳重な配備。これだけの人数が必要な理由などないはずだ。
あるとしたら…
(俺…かなぁ、やっぱり)
さりげなく周囲を伺いつつ、ジェイルは小さく溜め息をついた。
(そうだよな、アナを連れ戻す為に、クロエから俺が依頼を受けた事も、ネルの事も、アダックスの三姉弟から、とっくに報告は行ってるはずだし。大体、クロエの事だって、知らないなんて事があるか?連中なら、たとえ雇われハンターだろうが後々面倒の種にならないよう、周辺は念入りに洗うはずだもんな………)
傍らのクロエをちらり、と見下ろして、もう一度周囲に視線を巡らせたジェイルはクロエを連れてコンテナの近くへと移動しながら、打ち合わせで決めてあった回線を開いて相棒を呼び出す。
[SPINEL:>> なあに?まだ突っ込むには早いでしょ?心配しなくても、ちゃんと張り付いてるわよ?]
[Jailbird:>> いや、少々厄介な展開になりそうだ。…ちょっと待って、今いるところの障害物の配置図と立ってる連中のデータ、送るよ。>>>Send Data://File001: File002// ……届いた?]
[SPINEL:>> …ん。おっけ、展開できた…………何これ。ただの闇流れ品売買じゃないの?こんな物々しい警備なんか、普通しないってば。]
[Jailbird:>> ここで流す品物はただの闇流れ品。ただし、追加の商品は一人と一つ…いや、たぶん一人だな。]
[SPINEL:>> どーいう事?]
相棒の声が険しくなるのを聞きながら、適当なコンテナの側にクロエを座らせて、ジェイルは小さく笑う。
「とりあえず、この辺りで待ってればいいだろ。あまり気負いすぎるのもいけないから、もう少しリラックスしてていいと思うよ」
その笑みの裏側に、ぎりぎりまで張り詰めた緊張を潜ませて。
[Jailbird:>> …ごめん、ネル。俺は警戒しすぎて、逆に肝心な事を見落としていたらしい…どうやら、我らが依頼人殿は連中の張った網に引っ掛かっちまったようだ。]