[InterMission/魂を喰らうモノ。]
『愚か者が……力に溺れて、「私」を忘れたか』
囁くような声は、果たしてどこから聞こえてきたのか。
振り返った俺の目の前に倒れ伏すのは、己の力に溺れて全てを失った男。もはや動かないその男を見下ろすようにして、「それ」は佇んでいた。
『……』
黙ったまま、「それ」は目の前の男を見下ろしている。
顔のない女。
それが、その瞬間に頭をよぎった言葉。
「それ」の顔は、今まで見たことがある全ての女の顔であり、同時に誰のものでもないもの。
そして同時に、俺はその考えを否定している。
ここにいるのは、ヒトでは、ましてや女ですらない。
ならば、「これ」は何だ!?
そこまで考えた俺を、「それ」が振り返った。
顔に見えるそこには、光のない、黒い瞳が嵌まっていた。まるでぽっかりと開いた穴のような、または闇がそのまま凝って眼窩に嵌め込まれたかのような、黒い、暝い瞳。
ぞくり、と背筋に冷たいものが走った、ような気がした。
到底見えているとは思えないのに、暝い眼差しは、微動だにせず、じっとこちらを見詰めている。
『私が見えるか』
くっ、と「それ」の口の端が吊り上がる。
「お前は……いったい何だ」
どうして、こんなに声がかすれる?さっきから感じる、足下から這い上がってくるようなこの寒気は?
内心の動揺を悟られまいと、必死に何気なさを装った俺の問いに、「それ」は答えない。
『私の声が聞こえるのなら、お前は力が欲しいのだろう』
闇の塊が、蕩けるような微笑みを浮かべる。
『取引を、する気はないか』
「取引……?」
思わず不審げな声を上げてしまった俺に、再び「それ」は艶然と微笑む。
『私はお前に力をくれてやろう。目の前に立ちはだかるモノ、全てを狩る力だ』
この笑みを知っている、と俺は直感する。目の前に倒れる男が、かつて見せた凄惨な笑みと、本質的に同じもの。躊躇も何もない、ただ純粋に「獲物」を狩るだけの、そう、捕食者の笑みだ。
どうして気付かなかったのだろう?彼の手にあったはずの大鎌が、いつしか姿を消している事に。
そして何よりも確かな事。こいつは、ただひたすらに純粋な『力』だ。どこにも属さない、ただ強力な。
力を欲しがらないハンターはいないだろう。今よりも前に進むための力は、それ故に魅力的だ。そして、あまりにも大きい力を突然手に入れてしまった時、人は時にその力に喰われる。
「俺に、そいつと同じになれって言うのか」
固い声で問い掛ける俺を見やり、微かに「それ」は首を振った。
『この哀れな男は、己の理由で私を求めた。お前も、この力をお前自身のために使おうが、他人のために使おうが、それは私の知るところではない』
ただし、とその唇が吊り上がった。
『力に溺れて先を見失うような事があれば、お前はそこまでの器という事……その時には、代価を支払ってもらおう。お前の魂だ』
「俺の、魂……?あいにくだが、俺は」
『お前は人形だと言うのだろう?』
言いかけた言葉を遮るように。この世のものならざる笑みを浮かべて、魂を喰らうモノ、の名を冠する呪物は囁いた。
『そこに何も無いと、誰が決めた?元々、ヒトガタは良い依代になるモノだ。お前の魂……磨けば美味くなろう』
「ヤツも……お前が喰ったのか…………」
『楽しませてもらった。だが、己が食い荒らされていく事に恐怖すらしなかった愚かな男だ……』
ちらり、と黒い瞳が抜け殻となった男を見下ろした。周囲に立ちこめる白い霧に、その表情が忌々しげに歪む。
『返せ……この男は、私のものだ』
視線は、確かに足下の男に向けられている。が、その目は何処も見ていない。唇からこぼれ落ちるのは、さらに深い何処かに潜む、何者かに向けられた怨嗟の声。
『お前などには渡さぬ!こやつは、私のモノだ!』
苛立たしげな叫び。振り上げられた腕が一瞬虹色に煌めく巨大な刃に変わり、白い霧が噴き上がったかと思った瞬間、一瞬でそれは切り払われ、吹き散らされる。
霧が晴れたその場所には、もはや何も残っていなかった。
『……………………』
「それ」は、ただ黙ってそこを眺めていた。
暗闇そのもののような瞳は、何を考えているのか読む事ができない。
だが、しかし……
「…………来いよ、ソウルイーター。」
気が付くと、俺は「それ」に向かって声をかけていた。
「契約成立だ。」
『………………』
ゆらり、と顔を上げた「それ」の黒い瞳が、一瞬まばたきしたように見えた。まるで、心底意外なものを見たとでも言うように。
「お前は、俺に力をくれると言ったな……その力で、俺はお前を連れてってやる。お前の獲物を横取りしたヤツの所まで、一緒に連れてってやるよ」
『……変わった男だな、お前は』
「それ」が、微かに微笑んだ。
俺も、ちょっとだけ笑って「それ」に答える。
「良く言われるよ……全く、失礼な話だ」