[#12/封印空間。]
「え…何だよ、ここ…………」
そこに一歩踏み入れた瞬間、言い様のない気配を感じて。トリムは思わずそれ以上足を踏み入れるのをためらった。
足下から、異様に冷たい空気が這い登ってくるのがわかる。
生き物の気配は全くないのに、誰かの視線に似た感覚が全身に絡みつく。
ここの空気全てが、侵入者を拒んでいる。拒みながら……しかし、誘っている。
ここではない、どこか深い場所で、何かが呼んでいる。
だから、ここは閉じられていたのだろうか?
最初に調査隊がここを発見したとき、この遺跡の扉は厳重に封印されていた。パイオニア1の調査班や軍、そしてリコ-タイレルの通過した形跡があるのにも関わらず、この扉は決して開かなかったのだ。
解析の結果、使用されている封印は明らかに異なった文明による異質な式。
印を解いても、一定の時間で再封印を実行するこの扉は、何を封じているのだろうか。
「嫌な空気だ………」
ぐるりと周囲を見渡して、R10がぼそり、と呟いた。
ミィジェに依頼されたのは自分と雪風のはずなのに、何故彼まで一緒に来たのか、トリムは不思議で仕方がなかったのだが。
一度聞いてみた時、彼はただ「約束があるからな」とだけ答えた。
誰と約束したのか、それは判らない。
「………船を出しましょう 無数の星の海へ……」
どことなく澱んだ空気の中、不意に、歌を口ずさみ始めるミィジェ。
トリムも何度か聞いたことがある、パイオニア計画の公報に使われていた歌だ。
「夢と希望を乗せて 海へ出ましょう 遥かなその果てで 柔らかな日差しに包まれた 素晴らしきその地へ………か」
何とも言えない笑みを口の端に浮かべて、ミィジェは床面に転がった何かを拾い上げる。
「誰が決めたのかしらね、その『ステキな場所』を」
彼女が拾い上げたのは、ハンターズに支給される身分証明用のIDタグ。ちゃらり、と微かな音を立てて手の中で揺れるそれをしばらく見つめていたミィジェは、それを無造作にポケットへとしまい込む。
「……?」
「連れてってあげるの」
不思議そうに自分を見るトリムにそう答え、再び歌を口ずさみはじめるミィジェ。
その歌声が、いつの間にか呪文の詠唱に変わっている、とトリムが気付いた瞬間。
ざわり、と空気が蠢いた。澱んだ気配が、ゆっくりと動き始めている。
「来たか」
「そのようだな」
大鎌を一振りしたR10と、剣を構える雪風。
「っしゃ、一気に行こうじゃないの」
詠唱を続けながら二人の間に挟まるような位置に移動したミィジェが、立て続けに術を解き放った。
装備品のフォトン消費効率を一時的に引き上げるテクニックによって薄い赤色に輝く散弾銃を構えたトリムのやや前方、場に澱む影が凝り固まったようにして「それ」が出現する。
どうやって周囲を知覚しているのか、目も、鼻もない頭部を正確に四人の方へと向けると一直線に集まってくる、奇妙にねじくれたカタチをしたイキモノたち。
どん、という鈍い音がして、幾匹かが散弾銃で頭部を撃ち抜かれた。吹き飛ばされ、ばっくりと口を開けた傷から、気体とも液体ともつかない紫色がかったものを撒き散らし、それでも「それ」らは動きを止める様子を見せない。
「うっわ、気持ち悪ぅ……」
鼻の頭にしわを寄せ、それでも術を開放するミィジェ。氷の刃と冷気に晒されて凍りついた異形を、二人の雪風が両断した。
一太刀で切り裂かれた「それ」は、ぐずぐずと溶け崩れ始め……やがて、黒っぽい染みとなって床にこびりつくだけの存在になる。
「こいつら、イキモノじゃないの?」
「むしろ何かの式で空間に固定されてる、フォトンの塊みたいなモノみたいだけど」
トリムの問いに答えながら、ミィジェは再度口の中で呪文を唱える。
「属性は負、陰、闇……えーと、解を0にするための正、陽、光は……あ、駄目だ。既存の式じゃ足りない。実行式の再定義にちょっとかかるわ、頼んだわよ雪」
「……ったく、人使い荒いぞてめェは」
苦笑しながらも、大鎌を片手に「それ」らの群れに突っ込んで行くR10。その手の中で、虹色の刃がぎらり、と光った。
「とりあえずこいつらがフォトンの塊だってんなら……お前の好物だ、存分に『喰って』いいぜ、相棒ッ!」
直後、耳を覆いたくなるような甲高い不協和音が響き渡った。
その出所は「それ」を薙ぎ払う大鎌。異形の身体だけではない、何か別のものをも切り裂き、こそぎ取るような音が溢れかえる。切り裂かれた異形達はその輪郭を失い、気体でも液体でもない……あえて言うならばそれこそ「闇の塊」に還元され、
その全てが、虹色に煌めく刃へと纏わり付くように集まり、そして吸い込まれるようにして消えていく。
「……あ?」
あまりの出来事にあんぐりと口を開けたトリムの、それでも銃を撃つ手は休まないのは流石と言うべきか。
が。
「何、それ……?」
「トリム!」
注意がそれたその一瞬は大きい。雪風の声に我に返ったトリムが振り向くよりも早く、一際大きな異形が刃物状の腕を振りかざして彼女へと迫っている。
雪風と自分の間の距離は開きすぎている。R10の周囲にはその武器を危険と判断したのか、かなりの数の異形が群がっている。何より、重い散弾銃では間に合わない。
思わずその目を閉じかけたトリムの耳に飛び込んでくる、ミィジェの声。
「負を無に転ずる理はここに、理によって因果は法則、法則は式、そして式は我に従え、と…っしゃ、証明完了!」
声に込められた呪式が異形たちを縛る。その周囲に金色の光の輪が収束してゆき…光の矢が、雨のように異形の群れの頭上から降り注いだ。
「はふー」
ぺた、と座り込んで、ミィジェはポケットからフルイドを取りだすと立て続けに首筋へと注入。
「あー、アタマ使うと脳が疲れるわぁ」
「……同じじゃねーのか、それ」
「ニュアンスの問題ってヤツよ。気にしたら負けよ?」
ミィジェとR10の、どうという事のないやりとりの中、トリムはさっきから気になっていた疑問をぶつけてみる。
「ね、ゆっきー?さっきのアレ、何?」
「………………」
いつものように軽く流されるかと思っていたのに。彼はトリムが一瞬びくり、とするほどの鋭い視線を向けてきた。
思わず雪風の後ろに隠れてしまったトリムをR10はしばらくじっと見ていたが、やがて、ふっ、と視線を外す。
「……アンタは気付いてたっぽいな」
「…………」
突然の言葉に、雪風は僅かに頷いてみせる。
「まー、アンタがこういうの嫌いだってのは知ってる。…っつーか、俺もあまり好きじゃない。頼れるのは、自分の力だけだって今でも思ってるし、こんな馬鹿でかい力は…正直、怖いと思う。」
だけどな、
そう呟いて、手の中の大鎌に視線を落とすR10。
「そこでビビって放りだすなんて事したら、本当の意味で負けじゃん。一度手にしちまったんなら、最後まで責任とらなきゃいけねーだろ。…それに……約束、したしな。」
「……そやつとか?」
尋ねる雪風に、R10は「ああ」と頷く。
「約束したんだ、連れてってやるって。相手が何だろうが、約束は守らないとな」
「…あんた、意外と女の子の頼みに弱いもんねぇ」
ぼそり、と呟いたミィジェに、まるでばね仕掛けのような勢いで振り返るR10。
「な………お前、「見える」のか!?」
「あ、図星だった?っつーか『魂喰らい』の伝承なんざ、ちょっと神話伝承学かじったフォースなら大概知っててよ……ふーん、なるほど、「魂=生物固有のフォトン」ねぇ……すると「獲物」がいない場合は存在を維持し続けるために所有者のフォトンもちょっとずつ喰ってるわけか。」
何やら納得したような顔で、ぶつぶつ呟きつづけるミィジェの言葉に一瞬ひっかかるものを感じて、トリムは改めてR10の顔を見上げる。
「食われてる、って……」
「大したもんじゃない」
トリムが言いかけた言葉を遮って、彼はにっ、と笑った。
「何だよでんこ、心配してくれてるのか?悪いが俺はガキは好みじゃねーぜ」
「だ……誰がーっ!」
いつものようにトリムをからかいながら大笑いしているR10を横目で見ながら。
「…無茶しちゃって………知らないわよ、後でどうなっても」
ミィジェは、小さくそう呟いた。