[#14/封印空間・参。]
「誰?」
薄闇に満たされた通路の真ん中で、ふらふらと頼りなげに揺れながら。その影は、細い声でそう訊いた。
「オレ達はパイオニア2の……」
「……みんな、みんないなくなっちゃったのよ」
トリムの言葉を遮って、その魔術師は言葉を続ける。
「なんか聞こえてきたと思ったら、みんな消えちゃって」
「おい、しっかりしろよ……大丈夫か?」
虚ろな目で虚空を見つめながら、なおも呟き続けるフォマールの肩にR10が手を置き……次の瞬間、「何だっ!?」と短く叫び声を上げた。
「どうしたの、雪?」
「………冷てぇ……マトモな人間の体温じゃねぇぞ、これ………!」
「ほら、また聞こえる……ねぇ……あなたたち、聞こえないの………?」
ミィジェとR10の会話など聞こえないかのように、虚ろな顔のまま呟き続ける魔術師。
それを見ながら、何か変だ、とトリムは思った。
顔つきが…変わっている。確かに人の顔ではあるのだが、さっき見たのとは別人のようにも見える。顔である、という事だけしか判らない顔……目や鼻、口などの、個々の印象がはっきりしない。
トリムの嫌な予感に答えるかのように、黙ったまま、雪風が静かに大剣を構えた。
それに気付いて後ずさるミィジェ、微妙に立ち位置をずらすR10、その手の中にいつの間にか現れる虹色の刃。
「……呼んでるの、さっきからほら、ずっと耳元で呼んでるの……わたしのうしろにいるのよあなたたち気が付かないのここよ目の前にいるのにホラ近づいてくるわミえないのどうシて来ないで来ないで来ないで来ないで来ないで来ないでこないでこないでわわわわわわわたしにちかづかないで…イヤ……イヤよ………いやああああぁぁぁぁぁぁぁッ!」
叫んだその瞬間。
彼女が「弾けた」と、トリムは思った。
いつの間にか、かろうじて人であると判別できる程度でしかなくなってしまったその顔の、目といわず口と言わずありとあらゆる所から闇が噴き出してくる。
くたり、と床に落ちたのは、空気の抜けた風船のように薄っぺらくされた人の皮。そしてその周囲に蠢く、異形のイキモノ達。
「……ひどい………」
銃を構えたまま、トリムは小さくそう呟いた。
おそらく、自分たちが見つけた時点で「彼女」はすでに無くなってしまっていたのだろう。闇に侵食され、表面の皮だけを残して中身は食い荒らされてしまって、残った僅かな「彼女」だけが、状況を理解できないまま残されて。
他者に寄生する闇……あらためて、その言葉を実感する。
ダーク=ファルス……闇に潜む虚無と、そう彼女は呼んでいた。
ここに封じられていたモノの名前。かつて、どこかの星を中心として具現化したであろうモノ。そして、何者かによって無力化され、棺に封じられてこの地に埋葬されたモノ。
そう、封じただけ。それが消滅する事は決してありえないのだから。
この世界に、宇宙に生命が存在する限り発生する、全てのコトバと想いと存在に対する反作用的存在、全ての負のコトバと想念を餌として幾度でも蘇る巨大な力そのもの。
ゆらゆらと揺れながらこちらへと近づいてくる、その『世界に対する反作用』の生み出したイキモノ、『負のベクトルを持った力そのもの』であるモノの眷族たち。
この世に存在するもの全てに寄生し、その全てを食い荒らして『繁殖』し……そして一定期間を経て無へと還元される。
全ては、その創造主の意のままに。
ここで掴まってしまったら、その時点で自分は消えてなくなってしまう。残されるのは、闇のイキモノ達の苗床と化した抜け殻。
元は「彼女」であったであろうイキモノ達と、床に広がった「彼女」をもう一度、ちらり、と見やり……口の中で「ごめんなさい」と呟いて。
トリムは、迷うことなく引き金を引いた。
轟音と共に、身をくねらせてこちらに近づこうとしていたイキモノの一匹がばらばらに弾け飛ぶ。
「なんとかしてやりたいな……」
R10の言葉に僅かに頷き、次の瞬間「だが」と呟いて雪風が床を蹴った。
「この娘を開放する手段、拙者は…これしか知らぬ!」
龍殺しの刃に薙ぎ払われ、その歪んだ身体の大部分を削ぎ落とされてすら怯む様子すら見せず、なおも苗床を求めて歩を進めるイキモノ達を見ながら、ミィジェが微かに口元を歪めた。
「…………ひどいモンね……」
すぅっ、と息を吸い込んで、魔術師は高らかに呪文を叫ぶ。
「螺旋を描く熱砂の炎龍、我の示す解に従え!」
炎が渦を巻いて舞い上がる。灼熱の風が魔術師を中心にその腕を伸ばす。一瞬にして焼き尽くされ、灰すら残さず消滅するイキモノたちの残滓を巻き上げ、黒い影が走る。
「雪、あまり突っ込んだら危ない!」
ミィジェの声を無視して、異形の群れの中へと飛び込んでいくR10。
手にした虹色の刃が、甲高い唸りを上げ始める。フォトンの刃が、まるで金属のような硬質な輝きを帯び、異形のイキモノ達の身体を一瞬で引き裂く。そのまま散り崩れたイキモノ達の残滓が引き寄せられていき、
「……駄目だッ!」
突然上がった主の叫びに、未だ闇を纏わり付かせたままの『魂喰らい』が抗議するかのように刃を震わせる。
その柄を押さえ込むようにして、R10は呟いた。
「……判ってる…さっきお前が喰った奴等も、この子も変わりゃしない……」
まるで、そこにいる誰かと会話しているかのように。
「だけど、俺の目の前でこんな事になっちまったんだ……頼むから、この子は、そのまま…!」
瞬間、虹色の刃の周囲にわだかまっていた闇が空気に溶けて消えた。
同時に、R10の長身がぐらり、とかしぐ。
「あんの……バカっ!」
舌打ちし、走り出すミィジェ。その後を、大分その数を減らしたとは言え、決して諦める事をしない異形達を撃ち抜きながらトリムが、そして雪風が追う。
トリムの視線の先、膝を付いたR10の頭上で巨大な剣を振りかざす異形のイキモノ…その頭に狙いを定めた彼女がトリガーに指をかけた瞬間、がちん、という音がした。
「弾切れ!」
厳密には出力不足……銃に取り付けられたフォトンチューブの輝きが薄くなっている。一定の時間を置くか専用の装置で消費したエネルギーを補充しない限り、弾丸を撃ち出すことはできない。
「くそっ!」
舌打ちし、咄嗟に長銃を構えるトリム……だが、再装備にかかったその一瞬は大きい。
ミィジェの呪文はまだ終わらない。雪風が辿り着くには、あと数秒かかる。
焦るトリムの目の前で異形の右腕が振り下ろされた、その真下で。
「………ざけんじゃねぇ……」
かすれた、しかしはっきりした声が聞こえた。
「こちとらとっくに先約済みなんだ、テメェらにくれてやる物なんざねェよ」
蒼い瞳が、目の前のイキモノを睨上げる。ぎちぎちと嫌な音を立てながら、その手の中の虹色の刃が異形の右腕に食い込んでいく。
わずかな空白の後。
ぶつり、という鈍い音と共に、右腕もろとも胴体を切り落とされた異形の残骸が、空間に滲んで消えた。