[#04/淵に棲むモノ。]
そこには、長く延びる水路があった。
「ずいぶん急な流れだねぇ」
黒く濁って見えない底を確認するかのように、水面を覗き込むトリム。
流れを追いかけた視線の先に、資材運搬用だろうか、大きめのボート…と言うよりもむしろ筏…を発見して、彼女は首を傾げる。
「あれ、もしかして下流に行けるのかなぁ?」
「かもしれん」
頷いた雪風が、そちらへと歩を進めようとした瞬間。
「!」
びくん、と、トリムが弾かれたように顔を上げた。そのまま、それこそまるでバネ仕掛けの人形のように上流を振り返る。
「どうした?」
「遠距離索敵視界に、なんか『見える』。生体反応だ、上流からこっちに向かってくるみたい。こっちとの距離1200……820………376…凄いスピード、おまけにデカい!魚!?……違う!」
気をつけて!
そう叫んだトリムの目の前で、波立つ水面が大きく割れた。
そこから、異形の顔面が飛び出してくる。
長い身体をくねらせ、大きく跳躍したそれが、瞬く間に下流へと泳ぎ去るのを呆然と見つめるトリム。
「今のは………?」
「ワーム…に見えたが、だとしたら明らかに異常な大きさだ」
普段冷静な雪風が、珍しくその声にわずかながら驚愕を滲ませて呟いた。
ふと、それに思い当たり、トリムは雪風を見上げる。
「アニキ、もしかしてアイツ、リコさんが言ってた……!」
あのメッセージを信じるならば、あれがこの洞窟に巣くうイキモノ達を変異させた原因、触手で生物を変異させる巨大なワーム。
「だとしたら、放っておけないよね」
「ああ」
頷いて、雪風はすぐそばにあった筏を繋留していたワイヤーを、手にした剣で断ち切った。
「追うぞ」
「はいっ!」
岸を離れ、流れ出した筏に飛び乗る雪風、後を追うトリム。
一瞬ぐらり、と傾き、筏はそれでも流れに押されて凄まじいスピードで進み始めた。
元々ある程度の推進器は付けられているのと、急流に後押しされているため、かなりの速度で水路を進んでいく筏。だが、それでも「それ」の背中はまだ遠い。
「届かないなら………」
激しく揺れる筏の先頭に微動だにせず立ち、ライフルを構えてトリムは照準を定める。
距離補正、目標の運動による照準補正クリア、誤差の計算とそこから弾き出される補正をかけ………
「止めるッ!」
照準固定、弾道計算終了。短い叫びと同時に、銃口が火を吹いた。
狙い違わず、蒼い弾丸は泳ぎ去ろうとするワームの背中で弾け……突然の苦痛に、ワームはその長い身体をよじって咆哮を上げる。
自分の縄張りに侵入した小さいモノに気が付いたのか、速度を緩めて筏と並走するように泳ぐワーム。その胴体に、さらに数発の弾丸が叩き込まれる。
じゃぁぁぁっ、とざらついた叫びを上げ。
一度水中へと沈んだワームは、次の瞬間水面から身を躍らせると、その巨大な顎で筏へと喰らい付いてきた。その巨体の重みと、突如かけられた衝撃に、筏が大きく揺れる。
が。
わざわざ身動きのとれない状況に自ら飛び込んできたのは、いくら巨大と言えども所詮は蟲、という事だろうか。
髑髏を思わせる甲殻に、容赦ない斬撃が叩き付けられ、その頭部を覆う仮面のような甲殻がついに弾け飛ぶ。剥き出しになった頭に幾度となく斬撃を入れられながら、しかし、その口腔にびっしりと生えた鋭い牙が逆に邪魔をして、ワームは喰らいついたまま筏から離れられない。
苦し紛れに振り回した触手が、不意をつかれたトリムをはじき飛ばす。
一瞬だけそちらを振り返り、しかし斬撃を緩めない雪風を狙って振り下ろされたもう一本は、横合いからの銃弾に逸らされた。
「0.36秒遅いよ」
まだ倒れたままで、しかしいつの間に持ち替えたのか、右手に小銃を握りしめたトリムが口の端をかすかに吊り上げる。即座に跳ね起き、ほとんど予備動作なしで、何度も振り下ろされる触手を弾くトリムの左後方、その肩口で。
彼女のマグが、きぃん、と済んだ高い音を発する。マグ内部に蓄積された力が飽和状態になった合図。
ほぼ同時に、トリムはマグにアクセス。内蔵術式の中から、起動させる術式方程陣を選択。
「第一種臨界不測術式起動承認、演算開始!…アニキ、下がって!」
叫び、大きく腕を振り上げたトリムの周囲に、虹色に煌めく巨大な陣が出現する。
『術(テクニック)』と呼ばれる、時には物理法則をもねじまげる力の働きを、数式によって再現した『術式(テクノロジック)』……その実行のための膨大な数式を視覚化したモノ。
やがて演算を終えた陣が消え、マグから開放されたエネルギーにカタチを与えられたモノが放たれる。
それは、彼らが残してきた星に伝わる古いモノのカタチをしている。
それは遠い北の海に棲まうという。全ての魚を統べる王であり、常は淵に沈むその巨大な身は、北海を覆う厚い氷を己が背鰭でやすやすと砕いて泳ぐという。
故に。
「行けぇぇっ、エストラぁぁッ!」
喚び出した者の前方、直線上に並ぶもの全てを貫くそのチカラは、北海の主の名と、その姿を与えられている。
ワームの巨体と比べても何ら遜色の無い身を空に浮かべ。古い魚の姿をした竜は一度大きく跳ねると、ワーム目がけて躍りかかり………一瞬の静寂があった後、真っ二つに裂けたワームの長い胴は、左右に分かれながらゆっくりと水中へと沈んでいった。
「………やったぁ」
ふぅ、と肩の力を抜いて、しばらく水面を睨んでいたトリムが顔を上げる。
水路の途中に区切られた柵と、そこに設けられた船着き場。
「終点、みたいだね」
呟いて、トリムは筏の推進器を切った。速度を落とした筏が柵で止まるのを確認して、まず雪風が岸に上がると、筏に向かって手を差し伸べる。
「にゅ?」
「おぬしでは届かないだろう」
予想外の出来事に一瞬妙な声を上げたトリムに、かすかに苦笑を含んだ声で、彼は答えた。
「無理をして、もし落ちられたら拙者では引き上げられぬからな」
「むー………そりゃーオレってばちびっこだけどさー……」