[#16/歪ミシ神ヘト捧ゲヨ、ソノ祈リノ声ヲ。]
あり得ないはずの光景が、そこには広がっていた。
ばりばりと音を立てて、空間がめくれ上がっていく。庭園はいつしか周囲から断崖絶壁で切り離された高台と化し、澄んだ空気は澱み、草花は枯れ、空の色が鉛色に染められていく。
……おああぁぁぁぁぁああああああぁぁあぁあぁぁああぁ…………
噴き上がる瘴気と化した風の中に、ねじれた呻き声が混じった。
遠くなり、また近づいては遠ざかるその声の出所を探ろうと周囲を見回し……
「う……うあああああああああッ!!」
己の足下一面に刻まれた無数の顔に、トリムは絶叫した。
目も口も単なる空洞となり、もはや顔である事以外に何の意味も持たない、のっぺりとした、しかし苦悶と哀しみの表情だけははっきりと読み取れる、それは死者の顔だ。
……ああぁぁぁああぁぁぁぁぁああああああぁあああああああああああああ…………
口々に泣き叫ぶ彼らは……おそらくはこのラグオルで最初にダーク=ファルスへの贄となった人々。パイオニア1にいたはずの、万を越える住人。
「まさか………」
震えを押さえきれず、己の両肩を抱き締めながらトリムは最悪の想像を口にする。
「まさか、リコさんも…この中に………?」
「………今は考えるな、でんこ」
トリムの言葉を遮って、R10が手にした得物を軽く一振りした。
「とりあえず……今は他に集中しろ」
先程から感じる、なにかの視線。この黄泉の国のどこかから、じっとこちらを伺うものがいる。
泣き叫ぶ死者の顔の群れの中、それは唐突に現れた。
雪風の足下で、顔の中の一つが奇妙にねじくれはじめる。
びきっ、ぶちっ、という嫌な音を立てながらねじれてゆく顔の表面がぼこぼこと盛り上がり、膨れ上がっていく。なおも泣き叫びながら死者の顔はそれが腐敗する時のように変色し、端の方からどろどろと溶け崩れ始め、それでもなお膨れ上がり、
ばちん。
と大きく弾けたそこから、歪な形をした奇妙な物体が現れる。
その中心に薄ぼんやりとした紅い光を浮かべた、独楽……というのが一番近い形容だろうか。
「なに……これ………」
呆然と呟くトリムの足下で死者の顔はまたひとつ、ひとつと膨れ上がり、弾けては独楽を生み出していく。
虚空に漂う無数の独楽……そのなかの一つの縁が、ふと彼女をかすめた。
「………っ!」
ばぢっ、という嫌な音。とっさに身を引いたトリムの二の腕、並のハンターズスーツよりも強固な装甲の上にすら、くっきりと残る筋。
なおもゆるやかに回転しながら近づいてくる独楽は、しかしトリムが放った弾丸を受けて一瞬で砕け散る。
どうやら、案外と脆いらしい。
「なんだ、大したことないな」
ほっとした様子で、そのまま立て続けに独楽を撃ち落とすトリム。雪風とR10も、近くに寄ってきた独楽をそれぞれの得物で叩き落としにかかっている。
これもまたダーク=ファルスによって闇に囚われた人々ならば、枷を破壊する事で、せめてその呪縛からは開放できる。これくらいならば、数はあれどもそれほど難しい事ではない。
が。
銃声は、すぐに哭き声でかき消された。
砕け散り、地面に落ちた独楽は他の闇のイキモノ達がそうだったように形を崩し、どろりとした液状の闇と化して……やがて、その染みは新たな死者の面に変わる。
「な……っ」
絶句するトリムの隣、何かに気付いたように己の手の中を見つめるR10。
「お前でも無理なのか?」
呟きに答えたのは、かすかな囁きにも似た刃鳴り。
「なるほど……」
その呪物から何を聞いたのか、軽く頷くとR10は大鎌を担いで走り出す。
「01、さっきの石柱だ!」
「承知!」
短く答えた雪風が地面を蹴り、虹色に煌めく刃と、紅蓮を纏った龍殺しが、周囲を漂う独楽をも巻き込みながら、先程まで確かに石柱が立っていたその場所を薙ぎ払う。
ぱきっ、と、奇妙に軽い音が響いた。
虚空を漂っていた独楽が、失速し、地面に吸い込まれるように消えてゆく。
ぴきっ。
薄ぼんやりとその姿を浮かび上がらせた石柱に刻まれた亀裂が、さらに深みを増してゆく。
ぴしっ……ぱりっ…………
痛いほどの静寂に、その音が響き渡る。まるで卵の殻が割れるような。
視線はますます強くなる。頭の中まで侵入され、見られているような、物理的な存在感さえ伴った視線。
そして。
亀裂の中から、ぬめった光沢を持つ鱗に覆われた頭が顔を出した。その数は三つ。
どことなく龍に似たそれの、二十四個の紅い目がばらばらに動いて三人を見る。
違う。この視線じゃない。
一体何が、自分たちを見ているのか。そう思いながら視線を上げていき……トリムの目と、「それ」の目が合った。
泥人形のような顔の中に虚ろな穴が空いているだけの、しかし一見して人間の顔であるとわかる「それ」。足下に広がり、ダーク=ファルスに踏みつけられて苦悶の声を上げながら、それでもなおそこに縛りつけられ続ける死者の顔と同じ顔。
何かから逃れるかのように身をよじり、ダーク=ファルスの動きとは無関係に空を掻く両手。その左手で、何かが光った。
この黄泉の国の中でなお明るい輝きを放つ、紅い……深紅の腕輪。
「リコさん……ッ!」
叫んだトリムの声をかき消すかのように。
ダーク=ファルスの玉座たる龍たちが、一斉に咆哮を上げた。
黄泉の国を埋め尽くす爆炎と咆哮。
龍の口から吐き出される独楽が侵入者……あるいは新たな生贄……に届くよりも早く、トリムの銃はそれらを撃ち落とす。
だが、彼女は独楽の相手をするのが精一杯、龍の首に斬撃を叩き込む雪風達の援護にまわる余裕はない。
ダーク=ファルスの振り上げた腕から放たれる術のおかげで、自慢の銀髪は少し焦げ付いてしまった。氷の弾に晒されて、装甲の表面にも細かい傷ができている。
もう残り少ないメイトは無駄遣いできない。たぶん、雪風やR10も似たような状況だろう。
「こんな時、テク使えるひとがいてくれたら……」
唇を噛み、銃を打ち続けるトリムの背後で、きぃん、と鋭い音がした。
彼女のマグが、その四枚羽根を大きく広げて独楽をも弾き飛ばす金色のフィールドを展開する。
「ブラスト……使える?」
トリムの問いに、小さく跳ねて答えるマグ。
「おっけー。」と呟き、一気に駆け出すトリム。雪風たちの所まで辿り着き、銃を握りしめたままの右腕を天に掲げる。
「術式選択完了……第1種臨界不測術式演算開始!」
主の声に応じて、マグが貯め込んだエネルギーを開放する。トリムの足下に光で描かれた方程陣が展開、彼女が選んだ式を超高速で演算し始める。
演算終了。
「レイラ、お願いッ!」
トリムの声に応えるように、光が集まってひとつのカタチになる。
白南風の姫……ありとあらゆる病を治す治療師と言われる伝説上の王女、レイラの名を持つ癒しのチカラ。
彼女が放つ癒しの光は、しかし高位の術者が扱うレスタには及ばない……が、今の彼女達にはそれで十分だ。
「せっかくだ、こっちも喰らってけッ!」
トリムに続けるように、R10が握りしめた拳を勢い良く突き上げた。
「やっちまえ、ゴウラっ!」
雷を喰い、激しい嵐の日は雷に乗って山から駆け降りてくると言われる轟雷の大角鹿がその身から放つ雷撃。こちらは高レベルのラゾンデにも匹敵するエネルギーが、龍達の頭の一つを消し炭と化す。
雪風が無言のまま、大剣を掲げた。
「………来たれ、裁断者!」
低い声に応えたのは伝説に語られる魔術師の王。広げた両腕から、周囲を漂う独楽を消滅させながら無数の光の柱がダーク=ファルスに降り注ぐ。
龍の首が、苦しげな咆哮を上げた。
やがて、その頭が端から崩れ始める。次々と崩壊し、溶け落ちていく肉の下に鈍く光る骨を剥き出しにして地面へと崩れ落ちた龍の中央。
それを玉座にしていたモノが、ゆっくりと宙へと浮かび上がった。